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戦時下を送る日々 2

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通常 戦時下を送る日々 2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/7/18 6:54
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 あれから四か月後、年も明けた、三月十日未明に、深川、本所、墨田一帯に、大空襲波状攻撃で、何んと百三十機に、及ぶ焼夷弾投下にて、見る見るうちに、火の海と化し、何処へ避難して良いやら分からず、道路に、出ると火の粉が川の流れの様に走り、枝の様な火の粉が飛んで来て私の首元に入り、ジリジリと焼ける。すぐに、手で払い出したが、大きな火傷.二叉に来ると風が強く吹き、身を屈めても、吹き飛ばされそうになり、家族四人がうでを組んで、一丸となり早く、火の気のない、暗い場所の方えと、逃げつつ、ヤツト!隅田川に架かる清洲橋の袂(現在は芭蕉記念公園)の所 あの当時は、区の塵芥集積所コンクリート造りに囲まれた小さな十坪の所に二十人程かたまり合って、ヤツト!の思いで助かった。生きられた。東の空がしらじら明るくなり始めどの顔も、大人も、子供も煤で真っ黒、本当に奇蹟としか、思えない様な気がした。

 墨田区に今は聳え立つスカイツリーの場所から門前仲町まで僅か三時間半程で、一面の焼野原に、なり道路へ一歩出ると男女区別も付かない真っ黒焦げの死体がゴロゴロと横たわり、非戦闘員、一般住民が一晩で、尊い命が、十万人も奪われるなんて、惨い、哀しみの泪が、出てきて止みません。
  
 私も無論、着の身、着のまま、下駄履きで逃げて、唯、生きていたからこそ、思う事一階の八畳の間に明日着てゆく、学校の制服を、そのポケットには、昨日学友と、一緒に日本橋の白木屋でパイロット杜の万年筆を初めて、使う事楽しみにしていたのだが、これも夢となってしまい、当分の間、お預け、貯めていたお遣いも消えてなくなり、万年筆も書かずに、消えてなくなりました。チョツト!した心残りが、学生だったから!。。。。でも、突発的な、身の危険に差し迫った時、即動作が{逃げること.物に就着すると、大事な尊い命をも落とす)と人生経験の知恵を幼き私に、後輩に、聞かせ、教えて呉れた。 そこから若い人達は学びとる事物は何時でも働いて手に入れる事ができる。命こそ有れば、、、、

 この私の、手記も、事実を体験したから、、、こそ戦争を知らない若い人達に伝え、そこから、何かしら受け止め、此れからの生き方、新しい希望のある日本を築いて頂きたく思って居ります。私も八十余年を多くの周りの人びとに助けられ生きてまいりました。語りべも本当に少なくなりました。
 私も、老骨に鞭を打ちつつ、健やかに,更に、世のため、人のために尽くして行きたいい所存です。

満八十三歳と八か月

長野  清一

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