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昭和20年8月15日

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/6/16 0:24
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
 ハッキリ思い起こされます。
前夜非常呼集で急遽《きゅうきょ=急ぎ慌てるさま》完全軍装、上海近郊の大倉鎮から其の春に蒙古《もうこ=モンゴルから転進させられて降りた昆山駅まで夜間駆け足で早暁到着待機の列車に乗る時に線路脇の石炭屑《くず》の小山に咲いたタンポポの花の二、三が朝日に映えて居たのが美しく未だに目に焼き付いて居ます。緊張感は無しです。

 列車がどう走ったかは憶えません。昼飯が運ばれて来た頃に陛下のラジオ放送が有ったと聞きましたが特に感動無し。どうやら其処《そこ》は南京で渡河の時を待つて居たのではないかと思いますが兵隊共には目的地も判りません。 

 従って、戦争が終ったのだと言う自覚は全然有りませんでした。只管《ひたすら》に蘇連《それん=ソビエト社会主義共和国連邦》を邀撃《ようげき=迎え撃つ》のみ。

 やがて、揚子江を渡って列車は北進を続けます。今思えば其の日があの日です。
後になって考えれば、兵隊満載の列車は僅《わず》かの間隔で同線上に連なって居た筈《はず》

 夜間早暁に何回か八路軍《はちろぐん=中国共産党軍》の攻撃を受け其《そ》の度に停車して機関銃が鳴り響きます。
其の停車が前車との間隔を広げて、前車は山海関を越え、我々は天津にて下車。
 其の日は八月二十二日と記録されて居ます。八路軍が塞翁が馬《さいおうがうま=吉凶禍福は予想できないということわざ》であったとは!。

            當時 中村一等兵。
                二十八歳。

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変蝠林

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