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宿屋の息子

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/3/2 12:43
不虻  新米   投稿数: 20
 私は大正9年1月、草津温泉の旅館の長男として生まれました。当時は「旅館」と言う
より「宿屋」と言っていたように思います。上に姉が二人いましたが、後には弟や妹も出
来て、結局11人兄弟になりました。

 大正15年4月に小学校に入りましたが、この年の12月25日で元号の「大正」は終
わり、《大正=1912~1926》「昭和」が幕開けします。だから私に物心が付き、多少とも
社会のことに関心を持ち始めたのは「昭和」になってからのことです。事実、私が一番最
初に覚えた総理大臣の名前は、昭和2年から4年まで総理大臣を務めた田中義一の名前
でした。
 
 結局、私は「大正生まれ」の「昭和育ち」です。しかし、少なくとも昭和一桁《ひとけ
た》
時代までは、あらゆる点で「大正デモクラシー時代」の継続と言って良いでしょう。
私も出来るだけ、幼年時代、少年時代のことを思い出したり、或いは、もっと古い人から
聞いた話など思い出して、精々「大正の話」をしてみたいと思います。

 さて、先般マーチャンさんが、「大正サラリーマンライフ」の一部を紹介して下さいま
したが、商売人の家にはまた異なった色々な風習がありました。本日は手始めに、一つだ
け宿屋ならではのお話をしてみたいと思います。

 あの時代には縁起《えんぎ》を担ぐ《かつぐ》人が多かったのでしょうか。その一つが
「忌み言葉」《いみことば=不吉であるとして使用しない言葉》でした。「無し」とか
「悪し」とか或いは「する」いう言葉は「有り」とか「良し」、或いは「あたり」に言い
換えられました。例えば梨のことを「ありの実」と言ったり、「葦」《あし》は「葭
(ヨシ)」、「すり鉢」は「あたり鉢」などと言いました。

 こういう忌み言葉は一般的ですが、祖母や母はこれを日常会話に使っていました。我が
家の風習での傑作は、夜、這ってきた蜘蛛《くも》の扱いです。一般には夜、蜘蛛が来る
と不吉だと、嫌われるのですが、私の母などは、その蜘蛛をそっと、ちり紙で包み、それ
を神棚にあげ、「夜蜘蛛来た」「ヨクモキタ」「良くも来た」と拝み、『明日は大勢お客
様が来るよ』」と嬉しそうに言っていました。客商売は、それだけお客さん待ちだったの
ですね。
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