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艮麓会(ごんろくかい):鷺森神社の清掃(昭和17年)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/3/6 9:55
ほのぼの  半人前   投稿数: 33
京都市左京区修学院学区は、東山三十六峰の雄、比叡山の麓にあり、京の都の艮《うしとら=北東の方角》の方向に位置する。この修学院学区には、昭和初期から戦後、昭和23年頃まで、 艮麓会という青年会があった。

艮麓会は基本的には、修学院小学校を卒業し、中学課程以上へと進学した男子学生による同窓会であり、艮麓会規則、艮麓会の旗、艮麓会の歌までも備えた青年会であった。 私が入会出来たのは、戦中《1941-1945》の昭和19年であったし、初年兵のようなものだったから、艮麓会の詳細は知らない。 が、3年上の兄が艮麓会に所属しているとき、兄貴についてよくその行事に参加したりしていたものだから、その断片的記憶は残っている。

例えば、艮麓会は毎週の日曜日、朝には、ボランティアとして、各地区の氏神様の、参道の清掃に出かけた(写真)。 参道には、桜、梅、楓が連立しているので、秋など、落葉の時期にはとりわけ大変である。 が、手分けして、一斉にかかれば、短時間で終えることが出来る。 このような作業の過程で、先輩から後輩へと、作業の要領、命令の伝達などなど、団体活動としての基本、心構え、が教えられることとなる。 頼りになる先輩が沢山おられたし、実際、学業や進学、或いは(大袈裟《おおげさ》に言えば)人生に対してのヒントなども教えてもらえるのだった。
艮麓会は又、地区町民の運動会でも、ボランティア的に、その運営に協力し、また選手として参加し、喝采を浴びたものだった。が、昭和23年、これまでの公立の男子学校は、男女共学制となった。 女子学生の進学も増える中で、艮麓会はその存在意義が薄くなり、いつしか自然消滅してしまった。

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