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大正生まれの塾の思い出

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/3/2 23:08
  新米   投稿数: 10
私が生まれたのは大正の末期ですから、数え年で今年は80歳になります。私が小学校へ行っていたのは、昭和の10年前後ですから、思えば長く生きたものです。

 さて、その時分でも、やはり上の学校へゆくには競争がありました。私の家は、大阪の梅田の裏のほうにあったのですが、5年生ぐらいから、子供の足で歩いて20分ぐらいかかる。福島というところに学習塾《じゅく》があり、そこへ夕食をたべてから、毎日通っていました。

 その当時の、受験科目はやはり時代だったのでしょう歴史1本で、算数も、国語も、何もなくて、まことにシンプルなものでしたが、塾の先生は熱心に教えてくれました。この先生は、元陸軍の将校あがりとかで、いつも片手に竹刀《しない=竹製の刀、剣道で使用する》をもち。気合いの入っていない生徒がいると、頭をバシバシたたきました。

 塾の大きさは、十畳《たたみ10枚の広さ、》余りあったでしょうか、そこへ座机を何列にも並べまして、生徒たちは、家から座布団を持っていって、それを敷いて正座して教わったものです。1日おきぐらいに、試験がありまして、良い成績をとったものから順番に後列から前列へ並ばされます。

 ですから、テストの良し悪しが一目りょう然で、皆が後の席に座れるように努力したものです。そんなことですからきまった席というのはありませんでした。私もたった一度でしたが、首席をとって1番後ろに座ったことがあるのですが、次のテストで、たちまちにして落ちてしまいまして、「昨日の1番がそんなところに座っとるのか」と、先生に竹刀でこつかれた覚えがあります。

 やがて戦争が激しくなり、私の故郷のようなものであった町も、私の住んでいた家も、塾のあったあたりも全部きれいに焼けてしまいました。私にとって、少年時代の思い出が跡形もなくなってしまっのが、いまだに心残りです。
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