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我が家の味噌作り

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/3/14 18:26
不虻  新米   投稿数: 20

 大正時代の草津の旅館が全部そうだったかどうかは知りませんが、私の家では使用する味噌と梅干しは全部自家製でした。それらの作業は、主要な年中行事として暦《こよみ=カレンダー》に書き込まれていました。(或いは2年に一度のことだったかも知れませんが、………)

 味噌作りは秋……それも晩秋の行事だったと思います。
 先ず、「大豆の選別」を事前に行います。幅30糎《センチメートル》、長さ5,60糎位の板に高さ1~2糎位の縁を付けた盆の中に大豆を一掴み《つかみ》入れて、その盆を揺すりながら虫食い大豆やゴミを探し出して取り除きます。これは子供にも出来る作業なので、良く手伝わされました。

 さて、いよいよ「味噌作り」の日が来ると、その日は出入りの職人さん………大工、左官、土建、鳶職《高い足場の上で建築などの作業する人》、庭師、ペンキ屋、畳屋、経師屋《きょうじや=ふすまや屏風、巻物などに紙や布を貼る仕事の人》など………の皆さんが一家総出で手伝いに来てくれます。

 土蔵の近くの空き地で、男衆《おとこし》は大釜で大豆を煮て、それを直径1メートル以上もある大盥《おおだらい》に移す作業を行います。女衆《おなごし》と子供たちは10人位が一組になり、それぞれ、細い、長さ2メートルくらいの樫の搗《つ》き棒を持って盥を取り囲み、煮上がった大豆を搗いていきます。大豆が搗き上がると、今度はそれを「味噌玉」にします。本当に「味噌玉」と言ったのかどうかは忘れましたが、兎も角《ともかく》搗き上がった大豆を直径15センチ、高さ10センチくらいの円筒型の塊《かたまり》に作り、それを細長い机に並べます。
 終日こんな作業を繰り返します。最後に味噌玉を並べた机を別館の二階に運び、その季節、もう使わなくなり、畳を上げている部屋3部屋位に並べ、これで味噌作り第一段階が終わります。

 一ヶ月程経って、「子供は二階に上がってはいけないよ」と言われるので、却って《かえって》怖い物見たさに味噌玉の置いてある二階へ上がってみると、雨戸を閉めた薄暗い部屋に並べてある味噌玉に青い黴《かび》がびっしり付いていて、気味悪くて早々に逃げてきた覚えがあります。
この黴が麹《こうじ》なのでしょうか。

 春になってから、この黴だらけの味噌玉を四斗樽《しとだる=4斗(72リットル)入る樽》に入れて必要な塩を加えかき混ぜて、これらを本館の地下室に運び入れると、これで味噌作り作業は終了します。これらの作業は、祖母や母が番頭さんや女中さんを使って、家の者だけでやっていたようです。

 それぞれの樽には、手伝ってくれた職人さんに分ける樽、漬け物作りで、大根や胡瓜や茄子を入れた樽、或いは「白味噌」にした樽などを明記した紙が貼ってありました。

 我が家自製の白味噌で母が作ってくれた、厚さ1センチ位の奴切りにした豆腐だけが入った味噌汁の味は絶品でした。 (終わり)
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