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日中戦争 ( はまゆう )

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/7/31 19:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
日中戦争 ( はまゆう )


日中戦争始まる

 昭和12年7月に日中戦争が始まった頃から町の人と共に、小学校でも児童が出征兵士を日の丸の小旗を持って駅まで整列して見送りに行きました。駅前の広場で出征兵士を称《たた》える言葉が贈られ、万歳三唱があり、駅のホームに並んで「勝ってくるぞと勇ましくー」と出征兵士を送る歌を歌って日の丸の小旗を振りながら見送りました。町内の大勢の人達も賑《にぎ》やかに見送りました。

慰問袋《戦地の兵に送るため布地で袋を縫い、日用品や慰問の手紙などを入れた》

 日中戦争の初めの頃は戦地の兵隊さんにと、慰問袋を拵《こしら》えて送りました。今となればどんな物を入れて送ったものやら、すっかり忘れてしまいました。いつか慰問袋に女学生さんがお人形とか入れて送ったのを、兵隊さんが、故郷の妹さんに送っていたので、人形を送った人のお名前がわかったと新聞に載《の》っていました。

千人針《女達は赤い糸で作る糸玉の一つひとつに弾除けを願う心を込めた》
 
 千人針も銃後の女性の気持を伝える物だったのでしょう。
 身内の男性が出征される時とか、戦地の兵隊さんの武運長久を願って渡したり、送ったりした物でした。
 千人針は晒しの布の幅を半分に折って長さがおなかの周りを一巻きする位の長さで其れに一粒ずつ千個の赤い印を付け、それを一粒ずつ女性に縫って貰う物です。「千人針をお願いします」と町中で言われると立ち止まってお手伝いしました。

 寅年の人は(虎は千里行って千里帰ると言う縁起をかついで居たようです。)年の数だけ縫っていました。
 兵隊さんの出征を見送ったり、英霊《えいれい=戦死者の霊》を迎えに行ったり、慰問袋を送ったり、千人針を送ったりしたのは戦争の初めの頃の事でした。

はまゆう

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