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鉱山町の「山神祭」

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/10/2 8:45
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
 父の勤め先の関係で、小学校の途中から、中学の途中までを兵庫県の山間部にある鉱山町の社宅で過ごしました。当時は、どんな山間僻地《さんかんへきち》への転勤であっても転勤はすべて家族連れでした。単身赴任《たんしんふにん》なんて聞いたことがありませんでした。

 そのころの思い出で忘れられないのが「お祭り」です。
 この伝承館の、現在のテーマは「収穫の秋」ですが、この町の「お祭り」は春、遅い桜が満開になる4月の20日頃でした。

 当時の、こういう町のお祭りの特色は「会社丸抱え《まるかかえ》」という点です。

 戦争中、自粛《じしゅく》せざるを得なかったためか、昭和21年のお祭りは、それはそれは賑やかでした。

 なにしろ、坑道の奥深くで働いている人たちの毎日は危険と隣り合わせです。
 鉱山の守り神「山神様」のお怒りに触れたら大変です。お祭りを盛大にやって「山神様」のご機嫌を取り結んでおくことは会社のポリシーとしても大切だったのでしょう。(それは働く人たちのモラルアップにつながります)

 まず、山の上に、ネオンサインを取り付けます。それを見ただけでも心が浮き浮きしました。

 母の郷里から伯母たちも泊りがけで見物に来ました。

 境内では、お神楽《かぐら》の奉納のほか、サーカスも来ました。
 ただ、山間部のお宮さんの境内《けいだい》、何分にも狭いのでサーカスといっても動物は登場しません。
 でも和服にハカマをはき番傘《ばんがさ=竹骨に神を張り油をひいた雨傘》をさした女性の演じる「綱渡り」などの芸を、ハラハラドキドキしながら見続けていました。
 「もう、これで終わりです。どうぞお帰りください」といわれるまで、いつまでも立って狭い野外舞台を見上げていました。

 夜は、会社の集会場でイベントがありました。
 普段は、娯楽といっても古い映画くらいしか上映されないのですが「お祭り」には、歌舞伎、宝塚歌劇団などがやってきました。

 でも、何しろ狭い舞台ですから少人数の編成でしたが。

 はじめてみた、宝塚・星組の「コルヌヴィーユの鐘」。
 世の中にこんな娯楽があったのかーーーと興奮《こうふん》しました。
 もちろん翌日の学校の休み時間の話題を独占していました。

 歌舞伎は、もちろん「忠臣蔵」。
 大人になって、東京の歌舞伎座で本物の歌舞伎を見たとき、その規模と美しさの違いにびっくりしました。

 お祭りのご馳走は「さば寿司」でした。
 母が、乏《とぼ》しいお米を工面してなんとか作ってくれた「さば寿司」でした。









 写真の説明

 当時の社宅町です。
 なにしろ、思いっきり階級社会ですから、鉱山長の社宅は2階建て。
 課長社宅は1戸建て。
 父のような一般職員の社宅は2軒長屋でした。
 このほか、5軒長屋もありました。
 でも、当時は、あまり差別に対する不満は聞かれませんでした。
 「世の中、そんなものだ」とおもっていたのでしょう。
 我が家の前に見えるのは共同浴場の煙突です。

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