一文菓子屋 変蝠林
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投稿日時 2010/12/26 20:04
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
はじめに
スタッフより
この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への
投稿(2008/02/07)を、投稿者のご承諾を得て転載するものです。
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大正十年代の子供の御小遣いは大体一日一銭でした。
其れを持って街角の一文菓子屋に通いました。
一銭銅貨は結構存在感がありましたが偶に未だ半銭とか五厘銅貨とかも見られました。
一銭で買えるものは三角に切った蒟蒻を竹串に刺したおでんとか小竹に流し込んだ水羊羹、之は底に錐で穴を開けて吸い出しました。
其の他に所謂一文菓子と言う飴玉とか圧し菓子などもあったような。
ラムネは一銭では買えなかったと思う。
或る時からメクリと言うのが現れた。
ぶら提げた紙に貼った小袋を一銭で買って開くと高価な物が当たるもの。
当時の投機心が今は宝籤に残って無駄遣いが・・・・
来客とか正月には拾銭白銅貨が、偶に五拾銭銀貨に飛び上った思い出も。
みなさんの想い出は・・・・・・??
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
コンバンハ
引用:
或る時からメクリと言うのが現れた。当時の投機心が今は宝籤に残って無駄遣いが・・・・
ご同様、未だに「ロト6」を買い続けております。
あんこ玉の中に何か入っていると、当りで、もう一つと言うのが御座いまして、当たったから、もう一つ、もう一つって、食い続けたら駄菓子屋のばあさんに追い出された記憶が。
引用:
来客とか正月には拾銭白銅貨が、偶に五拾銭銀貨に飛び上った思い出も。
穴の空いてる五銭白銅貨は、時々貰った記憶が残ってますが、五拾銭はお正月くらいかなぁ~。
金曜日の夜は近所の梅屋敷の縁日で夜店が出て居りましたが、兄弟妹、各自五銭づつ貰いましたが、五銭では買えるものが少なく、二人で組んで拾銭にして、玩具などを買った記憶も御座います。(昭和拾年頃)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
変蝠林さん、こんばんは。
一文菓子屋は子供の集まり場所でしたね。しかし、中には親が厳しくて、そんなところへは足を踏み入れられない子供もいましたね。
あてものは、子供たちに人気がありましたね。それが尾を引いて今でも駄菓子屋に並んでいます。今は一回10円くらいでしょうか、街を歩いていると、こんな店を見かけることがありますが、昔と余り変わらない佇まいで、懐かしい思いで、眺めることがあります。
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
変蝠林さん、BUPさん、伸さん、こんばんは。
引用:
一文菓子屋は子供の集まり場所でしたね。しかし、中には親が厳しくて、そんなところへは足を踏み入れられない子供もいましたね。
親が厳しいと言うわけでも無かったと思いますが、「買い食い」止められていました。一文菓子屋と言うものも街に無かったかも知れません。
それでは菓子はどうやって手に入れていたのか?
私の家では、年に3,4回高崎や前橋の菓子問屋が注文取りに来るので、そういう問屋から何種類か缶入りの菓子を買っていました。余りよく覚えていませんが、落雁とか五家宝とか煎餅、或いは菓子とはちょっと違いますが「干したかち栗」や「ホタテの貝柱」などが入った缶が、奥の部屋の棚の上に並んでいました。そして3時のおやつの時間になると、家族や来合わせた町の人達も交えてそういうお菓子取り出して、それを食べながらお茶を飲んで馬鹿話を楽しんでいました。
私が今でも覚えているのは、学校から帰るとこっそり棚の缶から新高風船ガムや「かち栗」を一掴みポケットに忍ばせて、裏庭にあったブランコに乗りながらぼそぼそ食べていたことです。それからもう一つは、大嫌いだった床屋へ行くと、必ずご褒美に三ツ矢サイダーを飲ませてくれたことでした。