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東京大空襲の日 BUP

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/9/7 5:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 
 はじめに

 スタッフより

 この投稿(含・返信)は、メロウ倶楽部の公開サイト「大正の部屋」への投稿(2010/03/10)を、投稿者(含・返信者)のご承諾を得て転載するものです。

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 皆様 コンニチハ
 昨日、善兵衛さんより、”東京大空襲の日”のお書き込みが御座いましたが、レスを書かせて貰おうと思っているうちに消えてしまいました。

 朝刊(当家は朝日)を見ても、該当記事は皆無、僅かに投書欄「声」に一つだけ、読者の投書があっただけ。

 こうして、あの戦争は忘れられて行くのでしょうか。
 南方の戦場で勇躍(?)飛び回っていた小生儀、実は、当日、東京の大森の実家に居たのです。
 飛行機のエンジンは一定の消耗時間が来ると交換します、”エンジン交換”と言いますが、其の為に、内地に帰っていたのです。
 当時は、沖縄、台湾、比島の上空の制空権は無くなり、上空は飛べませんので、シンガポールより、広東又は海南島、上海経由で内地に辿り着く飛行になりました。
 それも、昼間は飛べませんので、夜中に離陸、明け方、明るくなってから着陸の夜間飛行で飛んでました。
 内地で、エンジン交換の間、休みを貰い、列車の切符を買って貰い、東京、大森に辿り着きました。
 家は、馬込の高台に在りました、夜中に小便に起きた時、二階の階段の突き当たりの北向きの窓から、北の方角が真っ赤に燃えているのが見えました。
 東京大空襲を此の目で見たわけです。
 翌朝も、其の次の日も、情報は一切入って来ません。
 何も知らぬまま、基地に帰り、そのまま、又、南の戦場に向かいました。
 東京大空襲の悲惨さを知ったのは戦後のことでした。
 次に、内地に飛んだのは、南方で養成して飛べるようになったパイロットを「特攻要員」として内地に輸送する「特攻輸送作戦」でした。
 長くなりますので、追って。    
  (プールで家内が待ってますので、大急ぎで、これからプールへ、帰りに、お買い物の荷物持ちをやらせれるのですよ m(__)m )
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