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真夏の卒業式 富田 成名

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/12/21 8:36
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 

 はじめに

 スタッフより

 この投稿(含・第二回以降の投稿)は「電気通信大学同窓会社団法人目黒会」の「CHOFU Network」よりの抜粋です。
 発行人様のご承諾を得て転載させて頂いております。

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 ジィージィーと蝉が鳴く目黒行大坂の校庭には、夏休みで生徒の姿は見えない。時は、昭和18年8月15日、「3部普通科2期生」の卒業式が、逓信大臣をはじめ、校長、副校長、担任の原、中野両教官出席の下に行われていたのです。

 顧みれば、苦しかった富士のすそ野での軍事教練が終わって、夏休みも近い6月下旬、突然、原教官から陸軍航空参謀本部から、2箇月繰り上げて卒業させよとの命令がでたので、夏休みは授業を行う事になったと伝えられ、全員声もなく、質問も出ませんでした。したがって、7月からは、昼、夜を問わず、日曜もなく、ただ、ひたすら卒業式前日まで授業が行われていたのです。その間、世田谷の陸軍病院で身体検査を2度も受けさせられました。

 何はともあれ、喜びの声一つ聞こえない、極めて寂しい卒業式は、30分足らずで終わり、全員講堂の前で写真を、原教官から撮っていただきました。(下の写真)この写真が、私たちの在校中のたった一枚の責重な写真です。この中には、体が弱く航測通信隊に行けず、民間の貨物輸送船に乗り、南方で亡くなった友達も何人かおります。

 午後の強い陽射しを背に受けて、卒業証書を片手に目黒恒例の卒業祝賀会を行う「雅叙園」へ向かったのですが、気が重く、ビールも苦く、友と再会を約して早々に解散。足取りも重く三々五々目黒駅へと歩を進めました。

 後日談、方向探知機による航測通信の教育が終わった9月1日の深夜、行き先も知らされず特別軍用列車で立川駅を後にしました。

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