大正の部屋  ー温故知新ー 

大正・昭和初期の実体験を 話す・語り合う・聞く・訊く
その時代の伝聞(親・親戚・知人より)を披露し合う
主役は上記時代お生まれの世代ですが、参加は老若広く
詳細は「開設の趣旨」を参照 質問は「問い合わせ」からどうぞ

[新規投稿] [新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用] [問い合わせ]
[トップページへ] [総合メニューへ] [留意事項] [投稿の手引]
  • 以下は新規投稿順のリスト(投稿記事)表示です。
  • 48時間以内の記事は new! で表示されます。
  • 投稿者のメールアドレスがアドレス収集ロボットやウイルスに拾われないよう工夫して表示しています。

  • [No.915] Re: 静岡浅間神社 投稿者:ら、めーる  投稿日:2009/01/29(Thu) 15:52
    [関連記事


    画像サイズ: 640×427 (48kB)
    変蝠林さん、 白兎山人さん こんにちは
    ●浅間神社の七不思議
    1一つ石…神社の周りに水路があり、この底に面したところが一つ石(一段)になっている。
    2叶馬…左甚五郎作と伝えられる。
         安永の火災の折、2頭の神馬が三保に逃げ、1頭はそのまま残り、1頭は戻って3きたのだとか。
    水飲み龍…左甚五郎作と伝えられる。
            安永の火災の折、龍が池に下りて水を吐き、御殿にかけたのだとか。
    4鳴きうずら…信州諏訪の名工・立川和四郎の彫った”粟穂にうずら”が鳴いたのだとか。
    5八方にらみの龍…狩野栄信によって大拝殿の天井に描かれた龍の墨絵。
                 どこから見ても龍がこちらを睨んでいるように見えるのだとか。
    6山上の不思議…麓山神社に至る参道にある岩の手前を足で踏むと不思議な音がするのだとか。
    7四方走りの馬…現在、文化財資料館に展示されている絵馬の中の馬が毎夜抜け出て走り回り田畑を荒らしたので、一筆描き加えて抜け出られなくしたのだとか。

    2の白馬は今でも馬小屋にいます。
     


    [No.914] Re: 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/29(Thu) 12:53
    [関連記事

    白兎山人さん こんにちは
     
    >  ちょうど私が就職した年の秋に(?)廃止になりました
    >  同期入社にちんちん電車マニアがいて
    >  一緒に車庫まで写真を撮りにいったことがあります
    >
    >  静鉄清水線は今も健在ですね  

    静岡電鉄の車庫と聞くと思い出します。
      大正十二年九月一日、関東大地震の時です。

      自宅から参百米ほどの所に車庫が在りました。
      一番安全な避難所として車庫に在った電車に寝ました。

      悪戯な大人が居て乗車口のハンドルを持って揺するのです。
      当時の電車は十米程の車の真ん中に四輪駆動が一つでした。

                           変蝠林(1917-)


    [No.913] Re: 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/28(Wed) 16:59
    [関連記事

    ら、めーるさん こんにちは

    > 昔ちんちん電車も街中をはしっていたのに、、、

     
      ちょうど私が就職した年の秋に(?)廃止になりました
     同期入社にちんちん電車マニアがいて
     一緒に車庫まで写真を撮りにいったことがあります

     静鉄清水線は今も健在ですね


    [No.912] Re: 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/28(Wed) 16:33
    [関連記事

    ら、めーるさん、今日は!

    > 浅間神社といえば静岡在住の私もでなければいけませんね。

     昔、汽車通と言えば優等生揃いでしたね。 多分、私よりも詳しい筈。

    > 又お堀端から刑務所の高い塀をみながら長谷どうりに出て一本松を通りました。

     あの監獄の赤レンガの高い長い壁、消えて仕舞ったのは残念至極。
     赤鳥居も石鳥居も残ってましたが昔の威容は何処。

    > 昔の兵隊さんの病院、静岡病院もそこらにありました。

     衛戍病院って言うのですよ。  静岡歩兵第三十四聯隊が消えてからかな。

    > 静岡大学や度忘れしましたけれど、有名なむかしの人のお寺もみえました。

     之はしたり、臨済寺を忘れたら不可ません。 今川氏に預けられた家康が
     学問に励んだ処。 昔の修身の教科書に安倍川の石合戦として載った家康。

    > 大分御茶屋さんは減りましたけれど、今もありますよ。
    > 4月の二十日会は盛大にやっています。彦左衛門さんもでます。

     御練りは何処だ安西二丁目なんて言って各町持ち回り。芸者連総出でした。

    > 静岡の街は随分変わりました。 私もここ数年行っていません。
    > 昔ちんちん電車も街中をはしっていたのに、、、

     仲町堀端のメソジスト教会は在りましたか?

     オッと、長話する場所ではありませんね。

                                 変蝠林(1917-)


    [No.911] Re: 静岡浅間神社 投稿者:ら、めーる  投稿日:2009/01/28(Wed) 15:41
    [関連記事

    変蝠林さん山人さん、今日は!
    浅間神社といえば静岡在住の私もでなければいけませんね。

    女学校入学で、先ずつれていかれたのは浅間神社でした。
    長谷道りから一本松を歩いて  その頃はい本松から学校がみえました
    又お堀端から刑務所の高い塀をみながら長谷どうりに出て一本松を通りました。

    昔の兵隊さんの病院、、静岡病院もそこらにありました。

    静岡大学や度忘れしましたけれど、有名なむかしの人のお寺もみえました。

    > 私の幼年時代は静岡市茶町を外しては考えられません。
    > 茶町と言えば当然茶問屋大店の街です。
    > 当時、町内会では春は山行き、夏は浜行きが催されて
    > 山は浅間山の桜、浜は焼津手前の大崩れ海岸の引き網。
    > 四月には二十日会(ハツカエ)祭で賑わいました。

    大分御茶屋さんは減りましたけれど、今もありますよ。
    4月の二十日会は盛大にやっています。彦左衛門さんもでます。

    > 先ず最初にお浅間さんに就いて話す為に下記を御紹介。
    >
    >    >http://www.shizuokasengen.net/
    もうじき櫻の時期になると浅間さんは賑わいます。
    文字でかくのは難しいです。
    実際に目で見て体験がいいです。
    静岡の街は随分変わりました。
    私もここ数年行っていません。
    昔ちんちん電車も街中をはしっていたのに、、、

    変蝠林さんや山人さんの書き込みを拝見して思い出しながら
    かかせていただきました。

    又静岡オフでもやって静岡めぐりなどもいいですね。
    岡部のさんの担当?  あははおこられるかな勝手にきめて。

    感冒に気つけてください。


    [No.910] Re: 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/28(Wed) 12:48
    [関連記事

    白兎山人さん

    > 昭和37年ころの話ですが
    > 浅間神社の裏山 賎機山には観光リフトがありました

    ヘエ 其のころから山でしたか・・
    私は 其のころ八事山で・・・・・

    >  静岡の繁華街にニュース喫茶がありました
    >  喫茶店の中で 常時ニュース映画を上映していました

    本年初、戦友を訪ねましたが安倍川橋を二つ間違えて・・

                            変蝠林(1917-)


    [No.909] Re: 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/28(Wed) 11:49
    [関連記事

    昭和37年ころの話ですが
     浅間神社の裏山 賎機山には観光リフトがありました
     一度乗ったことがあります
     今は無いようですね

     静岡の繁華街にニュース喫茶がありました
     喫茶店の中で 常時ニュース映画を上映していました

     クーポールと言う大きな喫茶店があり
     ウェイターの女の子は高い白い三角帽子をかぶり
     その三角帽子の先端からリボンをヒラヒラ
     店内を颯爽と行き来する姿にウットリ(^^)


    [No.908] 静岡浅間神社 投稿者:   投稿日:2009/01/28(Wed) 10:03
    [関連記事

    私の幼年時代は静岡市茶町を外しては考えられません。
    茶町と言えば当然茶問屋大店の街です。
    其処に遠戚の叔母の床屋(理髪店)が在りました。

    当時、町内会では春は山行き、夏は浜行きが催されて
    山は浅間山の桜、浜は焼津手前の大崩れ海岸の引き網。
    四月には二十日会(ハツカエ)祭で賑わいました。

    先ず最初にお浅間さんに就いて話す為に下記を御紹介。

       >http://www.shizuokasengen.net/

    案外知られて居ないのが残念です。
                        
                             変蝠林(1917-)


    [No.907] Re: 大正ロマン 投稿者:   投稿日:2009/01/27(Tue) 13:43
    [関連記事

    善兵衛さん

    > 西洋史という学科で『ロマン主義』を習いましたが中身は覚えていません。
    > 大戦突入2年目頃で「時局に合わない」と聞き流していたからです。
    > この学科、私らが最後で次の年には廃止になりました。
    > いま、おかげさまで67年ぶりに復習しました。

    私は大正六年うまれ。
    ですから私に浪漫の思い出は有りません。

    父母のロマンスから生を受けた側なのです。
    然し、当時はロマンも有ったが政争も壮絶でした。
    政友会、民政党の対立から父母は生木を裂かれ・・・
    結句、私は母無し子に。

    父は故郷を出奔、私を老母に預け、社会運動に専念。
    山林は全て社会党育成に注ぎ込まれ・・・・・
    加藤勘十と加藤静江さんは良く来宅して居りました。

    言うなれば大正は私の敵、なれど懐かしいのが変なる所以。

                             変蝠林(1917-)


    [No.906] Re: 大正ロマン 投稿者:   投稿日:2009/01/27(Tue) 09:35
    [関連記事


    『ロマン主義』を検索してみてください。

    西洋史という学科で『ロマン主義』を習いましたが中身は覚えていません。
    大戦突入2年目頃で「時局に合わない」と聞き流していたからです。
    この学科、私らが最後で次の年には廃止になりました。
    いま、おかげさまで67年ぶりに復習しました。

      善兵衛


    | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 |


    - Web Forum -   Modified by isso