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[No.7512] 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/02/25(Thu) 11:30
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30年ばかり前、あっしは、ポルトガルへ旅した時、現実にコルクガシの林をみたり、お土産にもコルクが使われているのを見て、コルクはここが本場だと思ったが、「椋鳥通信」では、スペインが本場のように書いていた。☆また、

  探検家で、『さまよえる湖』でも知られるスヴェン・ヘディンと云う男がよく顔を出すが、これは世間知らずの学者と云うより、なかなか強欲というか、かなり世間ずれした人間のように書いたあった。★「椋鳥」の、

 中巻の内、「椋鳥通信」のあとに「椋鳥通信拾遺」というのがあり、そこにフランスの作家、アナトール・フランスの「ペンギン鳥の島」のことが出ている。この本の出版社がパリのCalmann-Levy カルマン・レヴィ―社である。どうも、学生の頃あっしは本屋でよく見かけたと思ったので、ググってみると、同社はいまだに健在で、盛業中のようだ。これも百年以上つづいている老舗のようだ。

 「拾遺」のあとの「水のあなたより」には、美術ファンなら誰でも知っていそうな1911年の、モナ・リザ盗難事件のことがでてくる。このニュースは鴎外も、大事件と認識したのか、かなり詳しく何度も報じている。発見者の古物商が、大仕事をした割には貰いがすくないと云って、裁判を起こすなんという、つい笑えてしまうようなエピソードも、鴎外によって、漏れなく紹介されている。

 森林太郎は、もともとジャーナリズムの方は専門ではないが、かりに記者に転職したとしても、なかなか敏腕の記者として通ったのではないか。

 イタリアではマリネッティのほか、ガブリエレ・ダンヌンツィオもよく登場するし、ロシアのレフ・トルストイ、マクシム・ゴルキー、フランスのアナトール・フランス、鴎外に翻訳のあるアルフォンス・ドーデ―、ドイツではフランク・ヴェデキントやゲルハルト・ハウプトマンもよくでてくる。イギリスではオスカー・ワイルド、アイルランドのバーナード・ショウ、インドのタゴール、鴎外の「諸国物語」に翻訳のある、アルツール・シュニッツラーもよく見かける。

 第一次大戦のきっかけを作ったと云われる「オーストリアの皇太子暗殺事件」についても、詳細かつ正確につたえているし、編者の池内紀さんのいうように、ただ事実を報じるだけでなく、事件について、鴎外は独自の見解を付記している。その世界大戦を予見するような筆致には、鴎外の目の確かさを認めざるを得ない。

 そのほか、この本を読んでいて感じることは多々あるが、切りがないので、この辺で筆をおく。         (完)


 ☆どなたでも、日常ワインのボトルなどで、しょっちゅう目にしているコルクだが、ウィッキーさんによると、ポルトガルは、世界の総生産量の52パーセントを生産しているよし。スペイン29.5パーセント。知らなかったが、コルクはボトルの栓のほかにも、野球ボール、木管楽器、フローリング床材、彫刻の素材、その他、じつに多方面で使用されていた。

 ★ ある箇所には、ドイツの某商業組合が、評判を聞いて、講演を頼もうとしたら、べらぼうな講演料を示されたので、止む無く中止となった話や、講演料の高いのが表ざたになって、ヘディンは新聞誌上で釈明をした。口入屋のザックス(^O^)という男とのあいだで論争が起こり、ザックスは、とんでもない。わたしは、チャンと渡していると云って、その金額まで公表したという。

 これについては、さすがに鴎外も「何にしろまずい話だ。以後今少し廉潔にしたら好かろう」と自分なりの感想を書きとどめている。


[No.7514] Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:GRUE  投稿日:2016/02/25(Thu) 15:10
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

>  森林太郎は、もともとジャーナリズムの方は専門ではないが、かりに記者に転職したとしても、なかなか敏腕の記者として通ったのではないか。

>
>  第一次大戦のきっかけを作ったと云われる「オーストリアの皇太子暗殺事件」についても、詳細かつ正確につたえているし、編者の池内紀さんのいうように、ただ事実を報じるだけでなく、事件について、鴎外は独自の見解を付記している。その世界大戦を予見するような筆致には、鴎外の目の確かさを認めざるを得ない。

「椋鳥通信」のお話し面白く読ませていただきました。
 
「椋鳥通信」は、鴎外によって、雑誌『スバル』に1909−1913年の5年間55回に
わたって連載されたものですね。

当時、新聞社には海外特派員制度というものはまだなかったんでしょうね?
臨時にでも、彼を特派員に依頼すれば、その新聞社は人気が出たでしょうに。

鴎外のドイツ留学は1880年代なので、1909ー1913年にスバルに掲載され
たものは、ドイツや欧州から取り寄せた新聞。雑誌などからの情報でしょうか。

>  第一次大戦のきっかけを作ったと云われる「オーストリアの皇太子暗殺事件」についても、詳細かつ正確につたえているし、

とありますが、このサラエボ事件は、1914年6月28日に起こったことですから、
この情報を得た鴎外が、ドイツの留学経験が生かして、的確な論評をしたので
しょうかね。


[No.7516] Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/02/25(Thu) 21:36
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 GRUE さん、みなさん、こんばんは。

表題を「古きをたずねて新しきを知る」とした者として、ひとこと。

きょう、ポケーとNHKを見ていたら、「温故知新」というキーワードが出て来ました。なんでも、さいきん、テレビゲームが復活して若者の間でひそかなブームだとか。これには先駆けがあって、

 テープレコーダー、レコードなどの復活があるそうです。じつは、あっしもさくねん、蓄音機を買ったのです。(^O^)

> 鴎外のドイツ留学は1880年代なので、1909ー1913年にスバルに掲載され
たものは、ドイツや欧州から取り寄せた新聞。雑誌などからの情報でしょうか。

 鴎外がニュースソースを明かしていないので、くわしくはわかりません。しかし、「椋鳥」編者の池内さんは、その点について、こうした憶測をしています。

 鴎外が「椋鳥」執筆当時Vossische Zeitung、Berliner Tageblattの2紙を読んでいたことは、「通信」の文中に出てくるので、間違いないそうです。

 新聞購読も、普通は船便で1か月以上もかかっていたのが、1904年シベリア鉄道開通のせいで一気に短縮、2週間もかからずに着いたことも。
 
 「椋鳥」の始まったのが1909年なので、すでにこの鉄道の恩恵を被っていたはず。このころの世界を牛耳っていた通信社の勢力図をみると、やはりロイターが突出。しか「ヴォルフ」紙は、ドイツ、オランダなどヨーロッパでは、大きな勢力を誇っていたよし。当時の

 日本の新聞の紙面は、したがって、最大手のロイター電で占められていたようです。そこで、池内探偵は、はたと膝を打ったのです。「椋鳥」を通読すると、たしかに、ロイターの押さえていない北欧、ロシアなどの記事が多いのです。これは、あっしも読んでいて、すぐ感じました。

 ここで、鴎外の社会的地位がものをいうのです。鴎外はただの物書きと違って、陸軍省の上層部にいたわけで、「泣く子も黙る」かどうかは知りませんが、閣下の命とあれば、民間の、1通信社が多少の便宜を図ったことは、十分に考えられます。 

「余はげんざい、最新のニュースを欲している。ロイターなぞ他社の知らない、目新しいニュースがあったら、どんどん、こちらへ知らせるように」とかいうご下命が鴎外の口から洩れ、相手はドイツ事情に詳しい、しかもドイツにも知名の友人が沢山いるし、また、鴎外が自身、軍の上層部にいる特異な存在と知って、取れたてのフレッシュ・ニュースを、せっせと邸内に運び込んだのではないでしょうか。

 そうでなければ、日本の新聞しか読んでいない「スバル」の読者を狂喜させ、またビックリさせるようなことなぞ、とうてい無理でしょう。


[No.7517] Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:GRUE  投稿日:2016/02/26(Fri) 11:38
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは。

>  鴎外が「椋鳥」執筆当時Vossische Zeitung、Berliner Tageblattの2紙を読んでいたことは、「通信」の文中に出てくるので、間違いないそうです。
>
>  新聞購読も、普通は船便で1か月以上もかかっていたのが、1904年シベリア鉄道開通のせいで一気に短縮、2週間もかからずに着いたことも。

そうでした、それどこかに書いておられましたね。忘れてました。

当時としては2週間で欧州の新聞・雑誌が届くというのは画期的なん
でしょうね。もっともスバルは月1の発行のようですからそれでいい
んですね。しかし新聞社は、電信のようなものを持っていたんでしょうね。
 
>  ここで、鴎外の社会的地位がものをいうのです。鴎外はただの物書きと違って、陸軍省の上層部にいたわけで、「泣く子も黙る」かどうかは知りませんが、閣下の命とあれば、民間の、1通信社が多少の便宜を図ったことは、十分に考えられます。 
>
> 「余はげんざい、最新のニュースを欲している。ロイターなぞ他社の知らない、目新しいニュースがあったら、どんどん、こちらへ知らせるように」とかいうご下命が鴎外の口から洩れ、相手はドイツ事情に詳しい、しかもドイツにも知名の友人が沢山いるし、また、鴎外が自身、軍の上層部にいる特異な存在と知って、取れたてのフレッシュ・ニュースを、せっせと邸内に運び込んだのではないでしょうか。

なるほど、ありそうですね。

ところで、サラエボ事件(1914年)ですが、これは、第一次大戦勃発の直接の
動機になった事件ですから、超級の緊急臨時ニュースですね。これは日本では
いつ知らされたんでしょうね。


[No.7518] Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/02/26(Fri) 13:12
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実はご存じかと思いますが、あっしは生来飽きっぽいたちで,また、鴎外さんともお付き合いが長いので、今度ばかりはちょっと疲れました。☆

 そういっちゃあ何ですが、ふつうの書き手さんは一回読み切りが多いようですが、自分で云うのもおかしいですが、今回は6回までグアンバッテ書きました。(^O^)。それに、

お尋ねのようなことなら、すこし大きめの図書館などへ行けば、意外と早く解決するのでは。※

 メロウには、もしかしたら新聞雑誌、また通信関係の方も大勢いらっしゃるような気もします。あっしは、ジャーナリズムの方には疎い方です。奇特なお助け船が一艘でも、出て呉れるとありがたいのですが。(^^♪

☆ 今は鴎外はうっちゃって、ぜんぜん別の本を読んでいるところです。また、いかに、むかし人間とはいえ、明治大正のひとの文章を読むのはあっしには、かなり、しんどいです。ふう。

 ※ネットの『相談』では、事件が王室に関するもので、わが国にも皇室があり、もし不慮の模倣犯でも出たらという気遣いから、記事は地味なあつかいになったのではないか、という回答もありやした。


[No.7519] Re: 古きをたずねて新しきを知る〜6 投稿者:GRUE  投稿日:2016/02/26(Fri) 17:02
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紋次郎さん、みなさん、こんにちは、

どうも難しい質問をしたようで申し訳ありません。博識の紋次郎さんが
既に調べられたことであろうと思ってお聞きした方が早かろうと思った
のですが、なかなか骨の折れる作業をされたようですね。

おっしゃるように私でも少し調べることはできます。で、一寸やってみ
ると

1)「椋鳥通信」の分析 山口 徹氏

http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5720/1/KJ00004174295.pdf

がありました。これは既に紋次郎さんも目を通しておられるように思え
ます。これで全体像はほとんど掴めそうです。

当時の国際通信技術はどんどん進歩しているようでそれを掴まないと
1909-1913の時点で何が使えたかは言えないでしょうね。

2)で、国際通信社ですが、一次大戦くらいまでは、3大通信社が独占
していたようです。 1870年に範囲を協定

 a)アヴァス:フランス及びその領土、イタリア、スペイン、スイス、
   ポルトガル、エジプトの一部、フィリピン、ラテン・アメリカ諸国

 b)ヴォルフ:ドイツ及びその領土、オーストリア、オランダ、北欧、ロシア、
  バルカン諸国など

 c) ロイター:大英帝国、トルコ、エジプトの一部、極東(中国、日本) 

日本はロイターの勢力圏にあった。

b)ヴォルフはドイツ系なので、一次大戦で負けたので転落

もう一つの必要な情報は、無線通信の進歩状況

 1901年 マルコーニにより大西洋横断無線の成功

ですから、1909−1913年ではまだでしょうね。

もうひとつ、国際電話(電報も)。これは進歩の途中ですが、
まだ日本ー欧州間は実用的ではなかったのでは。


>  メロウには、もしかしたら新聞雑誌、また通信関係の方も大勢いらっしゃるような気もします。あっしは、ジャーナリズムの方には疎い方です。奇特なお助け船が一艘でも、出て呉れるとありがたいのですが。(^^♪

同感です。教えてください。

>  ※ネットの『相談』では、事件が王室に関するもので、わが国にも皇室があり、もし不慮の模倣犯でも出たらという気遣いから、記事は地味なあつかいになったのではないか、という回答もありやした。

オーストリア皇太子暗殺のニュースですから憚かられたかもしれませんね。

どうもありがとうございました。お疲れさまでした。


[No.7520] モールス式電信 投稿者:GRUE  投稿日:2016/02/27(Sat) 10:29
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もう一つモールス信号を使った通信を調べてみました。
これには有線式と無線式があり、もちろん有線式が先に開発された。

有線式は1836年、米国でモールスにより開発された。急速に実用化
された。1866年には、大西洋横断海底電信ケーブルが敷設された。

日本では、情報を得て、国産の開発がなされていた。
公式の送受信は、1864年にペリー来航時に持ち込まれたものでなさ
れた。1869年、東京ー横浜間で電信電報サービス開始。通信網は急速
に数年で全国に普及した。

1871年(明治4年)、ロシアのウラジオストクと長崎の間に海底ケーブルが
敷設され、シベリア経由でヨーロッパと繋がった。更に欧州と米国とを繋ぐ
大西洋横断電信ケーブルによって、米国に繋がった。すなわち世界と通信が可能になった。

1871年に欧州を訪問した岩倉使節団は日本政府とのやりとりをこの回線を
使って行ったとのこと。

従って、1909-1913の時には、このモールス式通信(有線)が活発に使われ
ていたと思えます。

サラエボ事件などは、日本にはすぐに伝わったと思います。ただ、その事件
の性格上、国民にすぐに知らせたかどうか分からない。

なお、回線の制約から電報程度で、情報量の多い新聞雑誌などは、やはり、
郵送しかなかったでしょうね。