運動会・遠足・学芸会・展覧会 
(期間:2013.11.1 - 2013.12.31)

今回は、運動会・遠足・学芸会・展覧会など
小学校時代の懐かしい思い出、少し苦い思い出など書いてください。
中学校(女学校)時代のことでもいいです。
戦中・戦後、いろいろな事情で学校行事が開催できなかったこともあったと思います。
そんなことも書いてください。


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  • [No.109] 小学生の作文 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/16(Sat) 07:11
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    > 運動会・遠足・学芸会・展覧会について話題を広げるため
    > 図書館で何か参考になりそうな本を探したのですが
    > なかなか見つけられません。
    >
    > 一番ほしいのは、小学生の時の思い出を書いた本です。
    >
    > あるいは
    > 私が小学生の時に、全国の作文コンクールの入賞作品をまとめた本があり
    > それを読むと作文の書き方の参考になるのですが
    > 学校行事の感想などが書かれてあって、いまのテーマには参考になるのですが
    > 探し方が悪いのか見つかりませんでした。

    なんとか
    図書館で小学生の作文集を見つけました。

    この中から、比較的今回のテーマにあう、学校行事に参加した子どもの作文を
    何度か紹介したいと思います。

    参考にしたのは2001年のものなので
    今の学校教育がどうなのかがわかるでしょう。

       ☆    ☆

    学習発表会で「ももたろう」の劇で、ももたろう役になった1年生の作文です。
      この学習発表会とは学芸会のことですね。

    鬼と戦うところで、大きな声で「やあ、やあ、にっくきおにどもめ。ようくきけ」というのだが
    その大きな声がなかなかできず、うちでも練習した。

    家族のみんなに聞いてもらったが、「まだまだ声が小さい。もっと、大きな声を出しなさい」と言われた。

    本番では練習した成果があらわれ、自分でもうまくいったと思うと書いている。

    鬼と戦う場面では、客席を見ると、おじいさんがカメラを向けていた。
    これは上手にやらなくてはと思って、大きな声でせりふを言った。

    母親からも「大きな声で、堂々と言っていたのでとてもよかった」とほめられた。

    まるで歌舞伎の子役の初舞台で、祖父や両親の見ている前で堂々と演じたのを見るようですね。


    [No.108] Re: 『教錬』などに明け暮れる日々 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/16(Sat) 05:15
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    唐辛子紋次郎さん、みなさん、こんばんは。

    > > >  学校のちかくに、段ヶ峰と云う山があり、その麓のはらっぱで、よく竹槍訓練をやりました。『匍匐前進』とか『傘型散開』など、むずかしい言葉はこのとき、覚えました。
    >
    > > 大変でしたね。
    >
    >  じっさいに、その『竹槍訓練』をやらされました。弱ったのは、先生の「あすはみな、竹槍を持って登校するように」という言葉でした。
    >
    >  当時東京から疎開してきたばかりで西も東も分からず、どこへ行けばその竹が手に入るのか途方に暮れ、文字通り、泣く思いでした。でも、さいわい、ある友人が何とかして呉れましたので、助かりました。

    竹の調達からやらされたんですか。

    それは大変。

    竹のない北東北や北海道ではこれまた大変。
    先生も生徒もどうしたんでしょう。


    [No.107] Re: 『教錬』などに明け暮れる日々 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2013/11/15(Fri) 22:03
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      男爵さん、みなさん、こんばんは。

    > >  疎開し、兵庫県の中学に移ってからは、遠足、学芸会、展覧会、運動会といったケッコウなものは全くなく、どころか、勉強さえほとんどなく、天気さえよければ、無報酬の炭焼き、農家の手伝い、兵器工場勤務などに明け暮れていました。

    > 遠足も運動会もなく、勉強さえほとんどなく
    > 兵器工場勤務や生産活動に明け暮れていたとは
    > 本などに書いてありますが
    > 唐辛子紋次郎さんの文章で一層真実に聞こえます。

    > >  この写真は、たぶん、学校の敷地ではないはずなので、教練か、それに類するものだったのでしょう。

    > >  学校のちかくに、段ヶ峰と云う山があり、その麓のはらっぱで、よく竹槍訓練をやりました。『匍匐前進』とか『傘型散開』など、むずかしい言葉はこのとき、覚えました。

    > 大変でしたね。

     じっさいに、その『竹槍訓練』をやらされました。弱ったのは、先生の「あすはみな、竹槍を持って登校するように」という言葉でした。

     当時東京から疎開してきたばかりで西も東も分からず、どこへ行けばその竹が手に入るのか途方に暮れ、文字通り、泣く思いでした。でも、さいわい、ある友人が何とかして呉れましたので、助かりました。


    [No.106] Re: 『教錬』などに明け暮れる日々 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/15(Fri) 17:43
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    唐辛子紋次郎さん

    >  疎開し、兵庫県の中学に移ってからは、遠足、学芸会、展覧会、運動会といったケッコウなものは全くなく、どころか、勉強さえほとんどなく、天気さえよければ、無報酬の炭焼き、農家の手伝い、兵器工場勤務などに明け暮れていました。

    遠足も運動会もなく、勉強さえほとんどなく
    兵器工場勤務や生産活動に明け暮れていたとは
    本などに書いてありますが
    唐辛子紋次郎さんの文章で一層真実に聞こえます。

    >  この写真は、たぶん、学校の敷地ではないはずなので、教練か、それに類するものだったのでしょう。
    >
    >  学校のちかくに、段ヶ峰と云う山があり、その麓のはらっぱで、よく竹槍訓練をやりました。『匍匐前進』とか『傘型散開』など、むずかしい言葉はこのとき、覚えました。

    大変でしたね。


    [No.105] 『教錬』などに明け暮れる日々 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2013/11/15(Fri) 15:45
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    画像サイズ: 480×346 (50kB)
     疎開し、兵庫県の中学に移ってからは、遠足、学芸会、展覧会、運動会といったケッコウなものは全くなく、どころか、勉強さえほとんどなく、天気さえよければ、無報酬の炭焼き、農家の手伝い、兵器工場勤務などに明け暮れていました。

     この写真は、たぶん、学校の敷地ではないはずなので、教練か、それに類するものだったのでしょう。

     学校のちかくに、段ヶ峰と云う山があり、その麓のはらっぱで、よく竹槍訓練をやりました。『匍匐前進』とか『傘型散開』など、むずかしい言葉はこのとき、覚えました。

     当時は、中学では、どこでも『配属将校』と称する軍人が、かならず配属されており、こうした行事には、かならず参加していました。たぶん、若いのは大抵、兵隊に取られて軍隊に入っていたので、回されてくるのは、みんな古手の軍人だったのだと思います。


    [No.104] Re: 尋常小学校ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/15(Fri) 12:28
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    まやさん & みなさん、こんにちは!

    > > 著者は岡山県の農家に生まれた。
    >
    >  岡山県の農家のことはわかりませんが、私が小学校時代を過ごした福岡県の
    > 筑豊地方は昭和初期に始まった石炭産業の中で発展を続けていたところでした。

    そうでしたか。
    では五木寛之「青春の門」と重なりそうです。

    >  小学校はほとんどが尋常高等小学校と呼ばれ、高等科を併設していました。
    > 生徒は小学校だけで終わるのでなく、中学校か女学校に進学することになって
    > いて、成績とか家庭の事情とかで進学できない児童は必ず高等科(2年課程)
    > に進むことになっていました。義務教育は小学校だけでなく、中学校か女学校
    > に進学しない児童は高等科に行かねばならないことになっていました。

    中学校や女学校に進学しない児童は高等科に
    というのは教育的には進んでいるようです。

    この本に扱われている子どもたちは
    (経済的な理由で)高等科にも行かれない子どもたちが多いようです。

    >  この尋常小学校がいつ国民学校になったか記憶にありません、たぶん小学校
    > 在学中だったと思います。学芸会もあったと思いますが、それもほとんど記憶
    > していません。なにしろ戦時中でしたから教練というのもありましたし。

    この本の年表を見ると
    昭和16年に
    小学校を国民学校と改称したことになっています。


    [No.103] Re: 尋常小学校ものがたり 投稿者:まや  投稿日:2013/11/15(Fri) 11:24
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    男爵さん & みなさん、こんにちは!

    > 副題は 昭和初期・子供たちの生活誌
    > http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8B%E5%B8%B8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%83%BB%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%AA%8C-%E7%AB%B9%E5%86%85-%E9%80%94%E5%A4%AB/dp/4828817123
    >
    > 著者は岡山県の農家に生まれた。

     岡山県の農家のことはわかりませんが、私が小学校時代を過ごした福岡県の
    筑豊地方は昭和初期に始まった石炭産業の中で発展を続けていたところでした。

     小学校はほとんどが尋常高等小学校と呼ばれ、高等科を併設していました。
    生徒は小学校だけで終わるのでなく、中学校か女学校に進学することになって
    いて、成績とか家庭の事情とかで進学できない児童は必ず高等科(2年課程)
    に進むことになっていました。義務教育は小学校だけでなく、中学校か女学校
    に進学しない児童は高等科に行かねばならないことになっていました。

     この尋常小学校がいつ国民学校になったか記憶にありません、たぶん小学校
    在学中だったと思います。学芸会もあったと思いますが、それもほとんど記憶
    していません。なにしろ戦時中でしたから教練というのもありましたし。

    まや


    [No.102] Re: 尋常小学校ものがたり 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/15(Fri) 06:04
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    > 竹内途夫:尋常小学校ものがたり
    >
    > 副題は 昭和初期・子供たちの生活誌

    > 著者は岡山県の農家に生まれた。

    > 主に著者の体験をもとに、当時の尋常小学校の児童たちの学校や家庭での生活を書いた本である。

    運動会に父親は来なかった。
    仕事で忙しく暇もなかったが、来ても恥ずかしい存在でみんなから笑われたという。

    応援はもっぱら母親で、自分の子どもの出ている競技を見たら
    ささっと帰らなくてはいけなかった。

    のんびり見ていると、あとで姑の嫁いじめの材料にされたから
    と書いてある。


    [No.101] Re: 炊事遠足 投稿者:男爵  投稿日:2013/11/15(Fri) 05:59
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    まやさん  ありがとうございます。

    > > ある人から戦前に女学校であった炊事遠足の話を聞いたのです。
    >
    >  炊事遠足という言葉は初めてです。
    >
    >  「飯盒炊爨(はんごうすいさん)」という言葉ならわかりますが・・。
    >
    >  時代が違うし女学校は県の管轄なので問題のことは県別に論じなければ
    > ならないでしょうね。それに炊事遠足という言葉のことも・・・。そんな
    > こんなで何とも言えませんが、私の小・中学校時代には学校行事としての
    > 「炊事遠足」のようなものは行われなかったと思います。

    そうですね。
    女学校の行事としても
    所が違えば、用語や運用は違うかもしれません。

    この件はオフラインの時にでも、お話ししたいです。

    それにしても「飯盒炊爨」は読めないですね。
    「はんごう」は見たこともあるし使ったこともあるのですが
    こんな字とは知りませんでした。


    [No.100] Re: 炊事遠足 投稿者:まや  投稿日:2013/11/14(Thu) 20:19
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    男爵さん、今晩は!

    > いまもあるでしょうか。
    >
    > これは
    > ある人から戦前に女学校であった炊事遠足の話を聞いたのです。

     炊事遠足という言葉は初めてです。

     「飯盒炊爨(はんごうすいさん)」という言葉ならわかりますが・・。

     時代が違うし女学校は県の管轄なので問題のことは県別に論じなければ
    ならないでしょうね。それに炊事遠足という言葉のことも・・・。そんな
    こんなで何とも言えませんが、私の小・中学校時代には学校行事としての
    「炊事遠足」のようなものは行われなかったと思います。

    まや


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