> すでに読んだ安田寛の「日韓唱歌の源流」は今回も借りてきた上 > 安田寛の新しい本も借りてきていますので > のちほど紹介します。
何度か読んだ本なのですが 改めて読んでいます。 (良い本は何度読んでもよいのです)
ローマ字考案者のヘボンは1859(安政6)年に来日して以来 日本人に賛美歌を指導することを試みたらしい。 その結果、彼は「日本人が西洋人の歌を歌うのは無理である」という結論を出した。 ところが、日本人は歌を上手に歌えることを発見したのは、ヘボンの妻クララであった。 クララは、横浜にあった夫が作ったヘボン療養所に女子塾を開いており、その経験によって「しっかり教育しさえすれば、彼女たちは上手に歌えるようになるに違いありません」と述べた。
ヘボン夫人の塾を引き継いだ婦人宣教師は、後にフェリス女学校を創設するキダーである。 1871(明治4)年にキダーは「私は彼女たちにいくつかの賛美歌を教え『主われを愛す』を彼女たちは見事に歌い『ハッピーランド』なども歌えます」と述べた。 「主われを愛す」と「ハッピーランド」は五音音階でできた歌であった。
「五音音階の歌だと日本人は音痴にならない」という婦人宣教師が賛美歌教育から得た体験は、キダーの歌唱教育の成功から約九年後に来日するメーソンによって生かされることになった。
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北朝鮮の抗日歌謡の中の 「反日戦歌」は元歌が「日本海軍」(大和田建樹作詞・小山作之助作曲)であった。 また 「十進歌」は日本のわらべうた「かぞえ歌」(ひとつとや...)であった。
日本の「蛍の光」は韓国の国歌となった。(韓国の国歌は蛍の光の替え歌だったが、のちに曲は別の曲に代えられた)
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