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[No.15508] 唱歌のふるさと 童謡のくに 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/19(Mon) 18:52
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佐山哲郎:唱歌のふるさと 童謡のくに

著者が
浄土宗新聞(平成10年5月号〜平成15年8月号)に連載したものを
加筆・訂正して出版した本である。

・ジョン・バエズも歌っていた「リパブリック讃歌」のメロディーは「ごんべさんの赤ちゃん」「おたまじゃくしは蛙の子」とそっくりで、「たんたんたぬきの...」もそうである。

・ロシア正教のトラディショナル・ミサの曲の中に「荒城の月」が入っている。

・「抜刀隊」の歌詞「我は官軍我敵は 天地容いれざる強敵ぞ...」と紹介したところ、読者から「強敵」は「朝敵」の誤りではないかと指摘があった。これは西南戦争の歌で、強敵とは西郷隆盛のことである。(原詩は強敵であり朝敵ではない)

・森進一の歌う歌はすべて四七抜き(ヨナ抜き、つまりファとシがない)の五音音階である。

・「七里ヶ浜哀歌」(真白き富士の峰)は実は18世紀イギリスのダンス曲で、19世紀はじめにアメリカで賛美歌となり、さらに「夢の外」という明治日本の唱歌となった歌であるが、韓国に渡り「日曜日歌其一」という韓国の唱歌になった。

ここに書かれてあることは、他の本で詳しく述べられているもので
特に目新しいものはない。
しかし、総花的に素人にわかりやすく紹介しているので、そういう目的の本である。


[No.15511] Re: 唱歌のふるさと 童謡のくに 投稿者:   投稿日:2010/07/20(Tue) 09:11
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> ・ジョン・バエズも歌っていた「リパブリック讃歌」のメロディーは「ごんべさんの赤ちゃん」「おたまじゃくしは蛙の子」とそっくりで、「たんたんたぬきの...」もそうである。

  そっくり と言うより メロディーを借りて 替え歌にしたものでしょう

> ・「七里ヶ浜哀歌」(真白き富士の峰)は実は18世紀イギリスのダンス曲で、19世紀はじめにアメリカで賛美歌となり、さらに「夢の外」という明治日本の唱歌となった歌であるが、韓国に渡り「日曜日歌其一」という韓国の唱歌になった。

  これで ひとつ謎が解けました
  韓国歌謡曲のCDの中の一曲 ♪真白き富士の嶺・・と同じような・・・
  もとは イギリスでしたか・・

  韓国の歌の歌詞
  お前の希望(理想)は一体なんなのだ・・・
  酒色に溺れて そんなことで どうする・・・


[No.15512] Re: 唱歌のふるさと 童謡のくに 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/20(Tue) 15:15
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> > ・「七里ヶ浜哀歌」(真白き富士の峰)は実は18世紀イギリスのダンス曲で、19世紀はじめにアメリカで賛美歌となり、さらに「夢の外」という明治日本の唱歌となった歌であるが、韓国に渡り「日曜日歌其一」という韓国の唱歌になった。
>
>   これで ひとつ謎が解けました
>   韓国歌謡曲のCDの中の一曲 ♪真白き富士の嶺・・と同じような・・・
>   もとは イギリスでしたか・・

白兎山人さん
前に書いた文章には省略があります。
「七里ヶ浜哀歌」は、韓国に渡り「希望の星」という大衆歌謡から
「日曜日歌其一」という韓国の唱歌になったのです。
(希望の星という題なのに、現実逃避や退廃の気風を叱責する歌詞なので、絶望歌とか失望歌と呼ばれていた)

ここらは、この本にも書いてあるように
「日韓唱歌の源流」の安田寛の研究によるものです。

すでに読んだ安田寛の「日韓唱歌の源流」は今回も借りてきた上
安田寛の新しい本も借りてきていますので
のちほど紹介します。

「日韓唱歌の源流」を書いたとき
安田寛は弘前大学教育学部の助教授でしたが
それから教授となり、のちに奈良教育大学の教授となりました。


[No.15526] 安田寛:日韓唱歌の源流 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/22(Thu) 17:36
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> すでに読んだ安田寛の「日韓唱歌の源流」は今回も借りてきた上
> 安田寛の新しい本も借りてきていますので
> のちほど紹介します。

何度か読んだ本なのですが
改めて読んでいます。
(良い本は何度読んでもよいのです)

ローマ字考案者のヘボンは1859(安政6)年に来日して以来
日本人に賛美歌を指導することを試みたらしい。
その結果、彼は「日本人が西洋人の歌を歌うのは無理である」という結論を出した。
ところが、日本人は歌を上手に歌えることを発見したのは、ヘボンの妻クララであった。
クララは、横浜にあった夫が作ったヘボン療養所に女子塾を開いており、その経験によって「しっかり教育しさえすれば、彼女たちは上手に歌えるようになるに違いありません」と述べた。

ヘボン夫人の塾を引き継いだ婦人宣教師は、後にフェリス女学校を創設するキダーである。
1871(明治4)年にキダーは「私は彼女たちにいくつかの賛美歌を教え『主われを愛す』を彼女たちは見事に歌い『ハッピーランド』なども歌えます」と述べた。
「主われを愛す」と「ハッピーランド」は五音音階でできた歌であった。

「五音音階の歌だと日本人は音痴にならない」という婦人宣教師が賛美歌教育から得た体験は、キダーの歌唱教育の成功から約九年後に来日するメーソンによって生かされることになった。

  ♪    ♪

北朝鮮の抗日歌謡の中の
「反日戦歌」は元歌が「日本海軍」(大和田建樹作詞・小山作之助作曲)であった。
また
「十進歌」は日本のわらべうた「かぞえ歌」(ひとつとや...)であった。

日本の「蛍の光」は韓国の国歌となった。(韓国の国歌は蛍の光の替え歌だったが、のちに曲は別の曲に代えられた)


[No.15529] 安田寛:「唱歌」という奇跡 十二の物語 投稿者:   投稿日:2010/07/22(Thu) 18:53
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> 日本の「蛍の光」は韓国の国歌となった。(韓国の国歌は蛍の光の替え歌だったが、のちに曲は別の曲に代えられた)

日本の「蛍の光」は韓国の「愛国歌」となった。

 東海の水がかれ
 白頭山がすりへろうとも
 天がお守りくださる
 わが国万歳
 
 無窮花(むくげ)三千里
 華麗なる山河
 大韓人よ 大韓よ 永遠なれ

現在、この歌詞に「蛍の光」とは別の旋律をつけた歌が
1984年の大統領令によって大韓民国国家と規定されている。

学童楽歌と呼ばれた中国の唱歌の一つが
ゆく春を惜しむ)である。
これは中国で1907年に出版された「女子新唱歌第三集」に
「蛍の光」のメロディをつけて掲載された。

その後、時代を反映して、中国でも唱歌は愛国歌となっていった。
「蛍の光」も叙情歌「惜春帰」だけでなく「軍国民」「国民皆兵」など愛国歌
としての歌詞がつけられ、高らかに歌われた。


[No.15513] Re: 唱歌のふるさと 童謡のくに 投稿者:   投稿日:2010/07/20(Tue) 19:06
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  男爵さん、みなさん、こんにちは。(^_-)-☆

小学唱歌の「蝶々」というのはスペイン民謡ということになっていますが、ドイツのハンス坊やの歌Hanschen kleinが、これにそっくりですね。★

 一方、親父がむかしよく歌っていたのに、Lightly Rowというのがあり、この方もはっきり覚えています。ライトリー、ロー、ライトリー、ロー、オー、ザ、グラッシー、ウェイブス、ウィー、ゴーとかって云うんですが。

 それにしても、元歌のスペイン民謡の歌詞の方はどこに行っちまったんだろう?

http://www.worldfolksong.com/songbook/others/hanshen_klein.htm

 ★ もしウソだと思ったら、一度上記を『試聴』してみれば?


[No.15514] Re: 唱歌のふるさと 童謡のくに 投稿者:男爵  投稿日:2010/07/20(Tue) 21:57
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はい、安田寛の
「唱歌」という奇跡 十二の物語
でも
唐辛子 紋次郎さんのご指摘のように
小学唱歌の「蝶々」は、今日でも、ドイツの「小さなハンス」(Hanschen klein?)
という歌詞で歌われていると書いています。

もともとは
(音楽教育のアメリカ人お雇い外国人教師)メーソンがドイツの唱歌集から採ったものですが
彼を世話した文部官僚の伊沢修二が、元歌はスペイン民謡だと言ったから
それが定説になっているようで、根拠は誰も確認していないということです。