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[No.15975] 国際共通語としての英語 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/27(Wed) 10:35
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国際共通語としての英語は、英語から固有の文化を切り離して考えることも必要である。
英語には米英の文化や生活、歴史が埋め込まれている。これを全部切り離すことは現実には無理であるが、
少なくともコミュニケーションのための英語というのなら、無自覚に米英の文化を教えようとしないほうがいい。

国際共通語としての英語に、もうひとつ重要な要素がある。
それは自分らしさを出したり、自分の文化を引きずったりしてもいい、ということである。
「アメリカ人はそうは言わない」といわれたら「アメリカでは言わないでしょうが、日本では言うんですよ」それでいいんです。

お互いが英語が外国語で、下手な英語を話す人同士が「本当はあなたの母語が話せたらいいんだけど、ごめんなさいね」「いやいや私こそ、日本語を話せないのでごめんなさい。しょうがないから英語で話しましょう」というわけですから。

日本人は日本人らしい英語を話し、相手はたとえば中国人なら中国人らしい英語を話し、でも基本は守っているから英語として通じる。コミュニケーションができる。
これが、あるべき国際共通語としての英語です。

同時通訳者としての経験ののち立教大学教授となった鳥飼玖美子先生の言葉でした。

---------------------

私も日本では使わない英語だが
中国や韓国で大学生がいたら、道に迷ったときなど
つい英語で聞く。そうするとたいてい解決する。
そんなときの英語は助けになる。 うまくなくても役に立てばいい。

「アメリカ人はそうは言わない」
これこれ
私が中学生のときの英語はまさしくイギリスの英語
  Have you a **** ?
といわねばならないところ
つい
  Do you have a **** ?
と書いたら試験は×でしたよ。(規則動詞みたいな、こちらの方が楽なのに)
いまはアメリカの米語でゆるされる世の中になったのですね。
(ついでにいえば、米語は日本の書き方で、中国なら美語です)

コーン (corn) と言えばトウモロコシ
しかし、これはイギリスでは通じない。
本来のイギリス英語では、この語は穀物全般を指した。
現在の北米・オーストラリアなどの多くの国では、特に断らなければトウモロコシを指す。
イギリスではトウモロコシを maize と呼びます。
ドイツ語では Maisです。
フランス語は 唐辛子紋次郎さんに聞いてください。


[No.15976] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/27(Wed) 11:46
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男爵さん、みなさん、とつぜんケイタイが喧しく鳴ったのでまかり出ました。(^_-)-☆

> コーン (corn) と言えばトウモロコシ
> しかし、これはイギリスでは通じない。
> 本来のイギリス英語では、この語は穀物全般を指した。
> 現在の北米・オーストラリアなどの多くの国では、特に断らなければトウモロコシを指す。
> イギリスではトウモロコシを maize と呼びます。
> ドイツ語では Maisです。
> フランス語は 唐辛子紋次郎さんに聞いてください。

おやおや、フランス語ですか。それよりトウモロコシ伝来の起源を考えた方がいいのでは?もともとあれは新大陸の住民の食べ物だった。それが欧州や他の地域にもたらされた。もともと欧州に無いものなので、新大陸で使われていた言葉をそのまま使うより方法がなかった。

 で、ヨーロッパでは輸入もと(コロンブス)のスペインではmaiz、フランスでもmais、ドイツでもMais、イタリアでもmais☆、ポルトガルでもmilho。大体同じのようです。

 新大陸ではマヤ、アステカの頃から一般に食されていたようですね。ちなみにマヤの神話ではトウモロコシの神は大活躍するそうです。

 西洋のと同じ洪水神話があって、トウモロコシの神は、人間をすべて滅ばしたりする恐ろしい力を持っていたようです。

 北イタリアにポレンタと云う名のトウモロコシ料理がありますが、あっしはあの国には何回も行きながら、まだ一回も食したことがありません。(-_-;)

 食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。

 ☆ granturcoというのが一番先に載っていました。とすると、トウモロコシはトルコから入ったか、ちなみにgranがgranoの略だとすると、これに粒の意味があるので符合します。穀物の英語grainも(穀)粒の意味なので。


[No.15979] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/27(Wed) 20:49
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唐辛子紋次郎さん

>  食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。

釈迦に説法のたぐいですが
メキシコからの留学生は
トルティーヤと言っていたようです。

ここは画像が載せられないので
こちらをどうぞ
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0131.jpg


[No.15981] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/28(Thu) 09:19
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> >  食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。
> メキシコからの留学生は
> トルティーヤと言っていたようです。

  Soy japones.Non soy mexicano.(^_-)-☆


[No.15987] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/28(Thu) 13:55
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> > >  食べ方としては、一般に日本のような茹でてそのままむしゃぶりつく様なのは少なく、トルティージャのような具合に、料理してから食べるのが多いようですね。
> > メキシコからの留学生は
> > トルティーヤと言っていたようです。

別に反論するわけではありませんが(^_-)-☆、なにかのご参考に。例のウィッキーの「トリティージャ」の欄では次のような説明を…。

********  ********   ********

 なお、スペイン語の"lla"の発音は地域や話者により異なり、スペインでは「ジャ」に近い発音を、メキシコでは「ヤ」に近い発音をする人が多い(ジェイスモを参照されたい)。本稿ではスペインのtortillaを「トルティージャ」と表記する。


[No.15983] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/28(Thu) 10:03
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> 釈迦に説法のたぐいですが
> メキシコからの留学生は
> トルティーヤと言っていたようです。
>
> ここは画像が載せられないので
> こちらをどうぞ
> http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0131.jpg

今から6年前の留学生たちの料理を食べるパーティでした。
こちらもあります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0130.jpg
つくるところ
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0129.jpg


[No.15988] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/28(Thu) 13:58
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> 今から6年前の留学生たちの料理を食べるパーティでした。
> こちらもあります。
> http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/ryugaku/image/2004_0627-0130.jpg

 あれあれ、これはメキシコ人なのに、llaのところをジャと書いていますね。注意してあげなくては。(^_-)-☆


[No.16004] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/31(Sun) 00:04
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みなさん、まいど

> 国際共通語としての英語は、英語から固有の文化を切り離して考えることも必要である。
> 英語には米英の文化や生活、歴史が埋め込まれている。これを全部切り離すことは現実には無理であるが、
> 少なくともコミュニケーションのための英語というのなら、無自覚に米英の文化を教えようとしないほうがいい。

> 私も日本では使わない英語だが
> 中国や韓国で大学生がいたら、道に迷ったときなど
> つい英語で聞く。そうするとたいてい解決する。
> そんなときの英語は助けになる。 うまくなくても役に立てばいい。
>
> 「アメリカ人はそうは言わない」
> これこれ
> 私が中学生のときの英語はまさしくイギリスの英語
>   Have you a **** ?
> といわねばならないところ
> つい
>   Do you have a **** ?
> と書いたら試験は×でしたよ。(規則動詞みたいな、こちらの方が楽なのに)
> いまはアメリカの米語でゆるされる世の中になったのですね。
> (ついでにいえば、米語は日本の書き方で、中国なら美語です)

 英文学の先生が、英語を教えるのが、拙いのとちゃう?
 文学は文化を元に書かれるよってーーーーー。
                         Toshichan in Kyouto-fu


[No.16006] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/31(Sun) 07:38
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 Toshichan
>  英文学の先生が、英語を教えるのが、拙いのとちゃう?
>  文学は文化を元に書かれるよってーーーーー。

その昔
学生の感想意見を聞いて
英語の講義内容に対するリクエストをまとめたことがあります。
(学部の代表としてカリキュラムを見直す役についたのです)
理科系学生にとっては
英文学とか凝った文章表現などは不必要なのです。
まず役に立つ英語を。

要するにツールとしての語学教育です。
ところが
語学の先生にしてみれば
自分の研究につながる文学の講義をしたいので
自然科学に関する啓蒙書とか実用手紙の書き方とか国際会議の発表のしかたといった
教材資料を使うのはめんどうだから
いっそうニーズから離れたものになっています。

この点は
情報工学科の先生が、ほかの学部や学科の学生の情報処理教育をするのと似ています。
学生にしたら、ツールとしての情報処理技術を身につけたいのに
情報工学科の先生は、コンピュータの原理である二進法とか
加算機や微積分回路のことを教えたがり、あるいは自分がよく使う言語やソフトの使い方に走りがちです。
また、別の先生によってはワープロや表計算ソフトのみの解説で終わってしまうこともあります。
学生にとって必要なことは、パソコンやソフトのスキル技術だけでなく
モラルとか個人情報管理とか、ファイルの階層構造など
生きた知識やノウハウ全体がざっとでも学ぶことなのです。


[No.16009] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/31(Sun) 21:47
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 みなさん、まいど。
> >  英文学の先生が、英語を教えるのが、拙いのとちゃう?
> >  文学は文化を元に書かれるよってーーーーー。
>
> その昔
> 学生の感想意見を聞いて
> 英語の講義内容に対するリクエストをまとめたことがあります。
> (学部の代表としてカリキュラムを見直す役についたのです)
> 理科系学生にとっては
> 英文学とか凝った文章表現などは不必要なのです。
> まず役に立つ英語を。

> この点は
> 情報工学科の先生が、ほかの学部や学科の学生の情報処理教育をするのと似ています。
> 学生にしたら、ツールとしての情報処理技術を身につけたいのに
> 情報工学科の先生は、コンピュータの原理である二進法とか
> 加算機や微積分回路のことを教えたがり、あるいは自分がよく使う言語やソフトの使い方に走りがちです。
> また、別の先生によってはワープロや表計算ソフトのみの解説で終わってしまうこともあります。
> 学生にとって必要なことは、パソコンやソフトのスキル技術だけでなく
> モラルとか個人情報管理とか、ファイルの階層構造など
> 生きた知識やノウハウ全体がざっとでも学ぶことなのです。

 文学は多分、言語が出来た頃から、有って、歴史が古過ぎるからでしょうけど、
情報工学は、発展途上なんで、新しすぎて、何を、教えておいたら良いのか、先生も困るやろねー。
 先生の知識と生徒の知識が同一レベルやかもしれへんから、講義でなくて、自習かもしれへん。

                            Toshichan in Kyouto-fu

                            

                           


[No.16010] Re: 国際共通語としての英語 投稿者:   投稿日:2010/10/31(Sun) 22:52
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   男爵さん、みなさん、(^_-)-☆
 
> 理科系学生にとっては
> 英文学とか凝った文章表現などは不必要なのです。
> まず役に立つ英語を。
>
> 要するにツールとしての語学教育です。
> ところが

 あっしも男爵先生の意見には全面的に賛成です。文学部などは別として、工学の研究をする学生がゲーテに詳しくなってどうする。ハイネの詩がわかってどうする。な紋はいらない。

  文『学』だけが『学』ではない。なこたあ最初っから決まっています。だから明治政府が連れてきたドイツ人はドイツ語の先生でなく、化学の先生、ドイツ語でなく物理の先生、ドイツ語でなく医学の先生だった、とフランス文学専攻の篠沢教授も20年以上も前の自著に書いています。(cf.鴎外などの通った学校がその一例)

 要は明治政府の方針に戻ればいいのです。全国の大学の教授や学生が声をあげ、政府を動かすのが早道のようにあっしなどは思いますが…。

 ちなみにあっしは文科系なので、ご協力はできてもあまり効果は無いでしょうね。
(-_-;)