[No.15497]
Re: 回想の太宰治
投稿者:男爵
投稿日:2010/07/16(Fri) 12:35
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妻の実家の甲府で焼け出されたので
太宰は妻子を連れて津軽の金木に向かった。
奥羽線で新庄をすぎるとのんびりした旅になった。
川部でもう一度乗り換えれば五所川原につけるというときに
太宰は能代から五能線に乗り深浦泊まりにしようと言い出した。
疲れて早く実家にたどりつきたい妻美知子であったが
太宰が深浦に泊まりたい目的も知っていたのでやむをえずついていった。
今の五能線ではなく、しかも戦時中のために列車の連絡が悪く
深浦に着いたのは夜だった。暗い夜道を相当歩いてやっと目的の宿についたが
出入口はかたく閉ざされていた。
太宰は懸命に戸を叩き、地元の言葉で金木の実家のことと
昨年五月に泊めてもらったことを言って、やっと中に入れてもらった。
その家の主人は長患いの床についていたのだった。十七、八の娘が給仕をしてくれた。
こんな状態では酒などお願いできるわけもなく
美知子は、あてにしていた太宰を気の毒に思う。
翌日は晴天で、一家は磯に出て磯遊びを楽しむことができた。
四歳の長女はまだ海を見たことがなかった。
一家にとってはじめての行楽の旅を楽しんだ。
あとで太宰は、金木で「海」というコントを書いた。
海を指して教えても川と海の区別ができないで、居眠りしながら子の言葉にうなずく母
ーー 海というと私に浮かぶのは、あの朝の楽しかった家庭団欒のひとときの光景である。
「浦島さんの海だよ、ほら小さな魚が泳いでいるよ」とはしゃいだのはだれだろう。太宰自身ではないのか。なぜ家庭団欒を書いてはいけないのか −−
私は「海」を読んでやりきれない気持ちであった。
体験したままを書かなかった太宰、作風もきまってきたから、そういう家庭団欒の光景は書けなかったのだろう。
それが妻には不満だった。せっかく楽しいひとときをすごしたのに。