[No.15871]
Re: 回想の太宰治
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/05(Tue) 10:59
[関連記事] |
津島美知子「回想の太宰治」
大学図書館にある本だが、何度も読む。 読むたびに新しい発見がある。
太宰がI先生に、朝、仕事にとりかかるのが億劫で困ると訴えたら
先生は自分は筆ならしに手紙を書くことにしているよ、とおっしゃった。
感心して聞いたので未だに忘れられない。
これは一種の頭の活動のアイドリングなのだが、こういう生きる知恵は大切だ。
いきなり本格的な仕事にとりかかる前に、調子を出すために
気楽にできることから始めるとよい。
自分の好きな仕事から始めていると、だんだん調子が出てくるものである。
太宰ははがきをよく使っていたのだが、絵はがきもよく使った。
三鷹に引越したときには、一閑張の文箱いっぱいあった絵はがき、それは妻美知子が
旅先や美術館などで求めたものがたまっていたのだが、かなりの枚数があったのに、彼の死んだ頃にはほとんど空っぽになっていた。
文箱の中の絵はがきを太宰から受けとった方から、歿後、書簡集を編纂することになったとき何年ぶりかで見せていただいたときは、二重になつかしかったと
妻美知子は書いている。
次の文章は心に残る文章である。
私の手もとにある太宰の絵はがきの中に、三島から青森の小館家に嫁したすぐ上の姉に出したのがあるが
太宰とこの姉とは親しかったのでこの絵はがきを手にすると、姉弟の情愛が伝わってくるような気がする。
「藍壷の富士」の風景の絵はがきで消印は昭和九年八月十四日、三島 修治とだけ署名してある。
その文面、そのペン字の書体、三島の風景、それらが渾然と交じりあって、一つのいい雰囲気をつくっていた、これはとうてい印刷されたものから味わうことはできない。
この絵はがきもそうだが、太宰は書簡に日付を記さぬ方が多かった。