若ものに読んでほしい「この一冊」 

(期間:2010.4.1 - 2010.5.31)

若い方々へ
 4月、船出のシーズンです。進学、入社―――など様々な船出があります。しかし、乗りだす海は、逆風で波も荒いと思います。なかには、乗船する船が見つからず、やむなく港で待機しておられる方もあると思います。
 そんなとき、一冊の本が勇気を与えてくれるかもしれません。

シニアのみなさまへ
 子どもの時、若い時に読んだ一冊の本が、その後の人生に大きな影響を与えた・・・そんな一冊をぜひご紹介ください。ジャンルは問いません。漫画本などでも結構です。


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  • [No.34] Re: どうか『米原万里』を読んでください! 投稿者:   投稿日:2010/04/20(Tue) 13:45
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    芳澤ガーデンギャラリーは、お庭も素晴らしいです。(^_-)-☆


    [No.33] Re: どうか『米原万里』を読んでください! 投稿者:   投稿日:2010/04/19(Mon) 23:09
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     井上ひさしの死、それに日曜と云うこともあって、玄関のあたりは、この賑わい。関係書籍の売り場なども、そばに近づくだけでもなかなか大変だった。


    [No.32] どうか『米原万里』を読んでください! 投稿者:   投稿日:2010/04/18(Sun) 23:41
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    画像サイズ: 375×500 (66kB)
     あえて書名を書かなかったのは、彼女の作品はどれをとっても名作であり、どれを読んで頂いても結構だからです。万里は手抜をしない、誠実な人です。

     じつは今日、市川の「芳澤ガーデンギャラリー」に『米原万里展』を観にいって来たところなのです。彼女にはどうしても惹かれるものがあり、自然と足が市川に向いてしまいました。こんなユニークな人物が日本にいたこと自体、チョッと不思議な感じがします。ただ「いた」と過去形で云わなければならないのが残念です。じつは米原万里は4年前の5月、卵巣がんを患い、ついに帰らぬ人となったのです。 

     3月27日から開かれていたこの展覧会のパンフに宣伝文を書いているのは作家の井上ひさしで、氏はこのギャラリーを運営している市川市文化振興財団の理事長でもあります。いや、これもまた「ありました」と云いかえねばなりません。というのは、氏もこの4月9日肺がんで万里の後を追う様にして、この世に別れを告げたからです。あっしが行ったとき、ギャラリーの入り口には、ひさし氏の遺影が飾られていました。

     それから多分ご存じとは思いますが、万里とひさしが、また親戚関係にあるのです。彼女の妹のユリが、ひさしの二度目の妻と云うわけなのです。
     
     一般に物書きの展示などは退屈なものが多いのですが、彼女の場合は違っていました。なにしろ共産党員の父をもち、家族ぐるみで日本を脱出、チェコの首都プラハのソビエト学校で学んだ希有の体験が、まずあっしらの度肝を抜きます。

     あっしも何冊か著書を読みましたが、その博識ぶりと、同時通訳と云う仕事の大変さはある程度理解していたつもりでしたが、他の面もきょうは、いくらか垣間見ることが出来ました。

     彼女は踊りも好きだったのです、また高校時代に描いた油絵、デッサン、自分で引いた建築図面なども貴重。商売柄使いまくってボロボロになった露和辞典、同時通訳用に使った膨大な量のケースファイルも、不断の猛烈な勉強ぶりが偲ばれて、思わず足を止めてしまう。また愛蔵の絵には、彼女の友人で、著書の表紙を飾った画家・後藤栖子氏のものがある。

     この画家とのそもそものなれ初めも、彼女らしくって面白い。万里が航空会社の添乗員で、栖子氏がそのお客だったという。そのほか、万里が小学3年から中学2年までを過ごしたプラハの学校教科書が残っているのもスゴイことです。

     もうひとつ付け加えるとすれば、壁に並んだ万里の著書、23冊の一つ一つに、井上ひさしが愛情をこめて書いた推薦文。これも中々に読み応えがあります。

     万里の著書をどうしても1冊となれば、あっしも斉藤美奈子に倣ってプラハ時代を活写した「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」を挙げたいと思います。(大宅壮一ノンフィクション賞受賞)

     ☆ 写真はこの展覧会の案内板。


    [No.31] Re: 山川惣治 投稿者:男爵  投稿日:2010/04/18(Sun) 20:37
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    > > 私にとっても山川惣治の「少年王者」は忘れられません。

    > >「漫画少年」に連載した「ノックアウトQ」は、梶原一騎も少年時代に感化院で読んで感動し、後に「あしたのジョー」の原作に反映されたという。

    小松崎茂の「地球SOS」や「大平原児」も人気がありました。

    福島鉄次の「沙漠の魔王」(香を炊くと出てくる魔王は、悪人が香を炊いたら悪人の言うことをきき、主人公が炊くときは主人公の言うことをきく。まさにアラビアンナイトの話そのまま)

    これらは、当時の私の年代ならみんな知っていると思います。

    > 男爵さんがそんなにマンガにお詳しいとは!あっしら、せいぜい、フクちゃん、冒険ダン吉、凸凹黒兵衛、サザエさん止まりですわ

    あと「のらくろ」でしょうか。
    漫画のことはまかせてくださいと言えばいいすぎになりますが
    「ちびまる子ちゃん」も全部読みました。
    時々、漫画喫茶で手塚治虫シリーズや「あさきゆめみし」なども見ています。


    [No.30] Re: 山川惣治 投稿者:   投稿日:2010/04/17(Sat) 12:12
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    画像サイズ: 303×520 (42kB)
      男爵さん、みなさん、こんにちは、

    > 私にとっても山川惣治の「少年王者」は忘れられません。
    山川惣治は、戦前から紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として活躍しました。
    (ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるも紙芝居作家だった)

    > 戦前に紙芝居として描いていた「少年王者」を戦後に絵物語として単行本に描き下ろした。

    >「漫画少年」に連載した「ノックアウトQ」は、梶原一騎も少年時代に感化院で読んで感動し、後に「あしたのジョー」の原作に反映されたという。

    男爵さんがそんなにマンガにお詳しいとは!あっしら、せいぜい、フクちゃん、冒険ダン吉、凸凹黒兵衛、サザエさん止まりですわ。(-_-;)喫茶室にも書きましたように、当地では去年も同氏の生誕百年展をやりましたが、ことしは「新収蔵展」に、掲載雑誌や原画が多数陳列されています。彼のペン画はじつに精密でまた、非常に躍動感に富んでいます。現在会期中(5月23日まで)ですので、ぜひ市立美術館の1階会場までおみ足をお運び下さい。きっとビックリされますよ。(^_-)-☆

     写真は昨年の展覧会でのカタログの一部から。


    [No.29] 山川惣治 投稿者:男爵  投稿日:2010/04/16(Fri) 16:06
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    唐辛子 紋次郎さんが、喫茶室に書かれていましたが

    >ゆかりのある「少年ケニア」の画家、山川惣治の原画や著書など、
    http://www25.big.or.jp/~mllwclb/cgi-bin/bbs/danwasitu/wforum.cgi?no=30395&reno=no&oya=30395&mode=msgview

    私にとっても山川惣治の「少年王者」は忘れられません。
    山川惣治は、戦前から紙芝居作家として、戦後は絵物語作家として活躍しました。
    (ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるも紙芝居作家だった)

    戦前に紙芝居として描いていた「少年王者」を戦後に絵物語として単行本に描き下ろした。

    「漫画少年」に連載した「ノックアウトQ」は、梶原一騎も少年時代に感化院で読んで感動し、後に「あしたのジョー」の原作に反映されたという。


    [No.28] ロンドンのパブ 投稿者:男爵  投稿日:2010/04/16(Fri) 14:55
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    画像サイズ: 372×247 (11kB)
    名探偵コナンですか
    金田一少年の事件簿
    というコミックもありますね。

    読む本としては
    少年探偵団シリーズ
    それから
    ホームズものや、ルパンものもありますね。

    ケストナーのエミールと探偵たちも子供ころ
    読んでおくといいですが、今の人たちは読んだことがあるでしょうか。
    ------------------

    唐辛子 紋次郎 さんにあやかって
    私もここで写真を載せようと思い
    1996年10月の旅行のときの
    ロンドンのパブの写真を探しました。

    ひとつは
    トラファルガー・スクエァ近くの
    シャーロック・ホームズ。
     あのコナン・ドイルが まだNorthumberland Arms Hotel
     といっていたころのこの建物のことを、
     バスカーヴィル家の犬という作品に書いているそうです。
      (旅行から帰ってバスカーヴィル家の犬を読みました)
    もうひとつは
    ロンドンタワーブリッジの下からほどない場所にある
    ディッケンズ・イン。
     ここは18世紀のビール工場を改造したパブ。
     太い木材を柱や梁に使って それを太い鉄ボルトで
     留めているのを見て木橋を思い出したのです。
    我々が雰囲気を楽しんでいると
    中に車椅子の女性を加えた
    女性グループ三人組が入ってきました。
    車椅子の女性も回りの客も全然違和感のない雰囲気にまた感動。

    ディッケンズ・インの写真を載せます。


    [No.27] Re: 漫画編 投稿者:   投稿日:2010/04/16(Fri) 13:27
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    画像サイズ: 494×520 (29kB)
      男爵 さん、みなさん、
    >
    > スポーツ漫画での、まず古典的なのは
    >  巨人の星
    >  アタックNo.1(サインはV! というのもありましたね)
    >  スラムダンク
    > でしょう。
    > もっともたいていの若い人は読んでいる(知っている)。
    >
    > 私が影響を受けたのは
    >  ジャングル大帝(大陸移動説の紹介)
    >  リボンの騎士(性同一性障害のさきがけ?)
    >  鉄腕アトム
    > 手塚治虫は偉大でした。

    漫画といえば、正確にはアニメと云うのでしょうが、この間同期会で渋谷へ行ったら、窓外の上空に浮かんでいる飛行船の胴体に「名探偵コナン天空の難破船」の初日を知らせる広告が書かれていました。その文面に依ると、あす4月17日、日比谷の有楽座で出演者の舞台挨拶があるのだとか。

      http://www.tohotheater.jp/theater/034/info/event/konan.html
     


    [No.26] 漫画編 投稿者:男爵  投稿日:2010/04/14(Wed) 23:11
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    唐辛子 紋次郎 さんが格調高いものを紹介するので
    話題を広げるために....

    スポーツ漫画での、まず古典的なのは
     巨人の星
     アタックNo.1(サインはV! というのもありましたね)
     スラムダンク
    でしょう。
    もっともたいていの若い人は読んでいる(知っている)。

    私が影響を受けたのは
     ジャングル大帝(大陸移動説の紹介)
     リボンの騎士(性同一性障害のさきがけ?)
     鉄腕アトム
    手塚治虫は偉大でした。


    [No.25] ツルゲーネフ「はつ恋」 投稿者:   投稿日:2010/04/11(Sun) 16:09
    [関連記事URL:http://yhm00217@nifty.com

     だれしも青春時代には、ひとには恥ずかしくて話せないが自分にとっては貴重な初恋の想い出があるものだ。

     なかでも、ツルゲーネフの想い出はダントツにいい、とあっしは思う。というのはこれが若い頃のあっしの愛読書だったからだ。

     新潮文庫の中でもとくべつ薄い本になると思うが、この本を見ただけで、あっしには、あの頃の甘酸っぱい、すこし苦味もまじった思い出が、今でもあざやかによみがえって来る。

     しかも、訳は日本有数の名訳者として知られる神西清氏だから、なおのことである。

     16歳のうぶな「私」が、偶然となりの別荘へ越してきた5歳年上のジナイーダ、といっても一応「公爵夫人令嬢」だが、これに、いいように遊ばれてしまう話だが、じっさい彼は、どんな眼にあってもいったん彼女の前に出ると思うがままに操られてしまい、自分の意思を失ったも同然のでくの坊のような状態になってしまうのだ。

     ジーノチカ、彼女は何時の間にか、まわりに小さいながらも総勢7人の自分のサロンをつくってしまい、そこで女王然としてふるまう。そうして、崇拝者たちに次々いろいろな遊びを、提供する。

     「私」は最初からジーノチカの従僕のような地位に甘んじていたが、ある日一遍に足もとをすくわれるような事件が起こる。こともあろうに、「私」の父親とこの不実な娘との不倫が投書によってとつぜん発覚し、そのことで母と父が大喧嘩をしたというのだ。これはフランス語でなされたらしいが、小間使いの中にこの暗号の分かるものがいて、ケッキョク召使どもにもすべて分かってしまう。

     ツルゲーネフは、ほかにも山場を作っていて、歳月が流れ父も死に「私」も大学を終え、偶然あったサロン仲間からジナイーだの消息を聞かされる。彼女はすでに人妻になっており、「私」の住むマスクヴァに来ているらしかった。ぜひ逢いたいと思ったが、運命のイタヅラで果たせず、やっとやり繰りがついて訪ねてみると、「私」の思い人は何ということか、産後の肥立ちが悪く4日前にこの世を去ったという。

     そうして、この小説の冒頭にあるように、「私」もいまは初老と云う年頃にもなるだろうか、仲間の寄り合いでこの物語をし、ただひたすら、静かにこの、掛け替えのない想い出に浸るばかりである。

    *  これを読んでいると、日常の会話にフランス語をまぜたり、フランスの新聞を読んだりする当時の貴族や、地主などの上流階級の様子も分かって面白い。「私」もジナイーダにかかっては、ムッシュー・ヴォルデマール(もとのロシア語読みではヴラジーミル)にされてしまう。


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