桐子さん、こんにちは。若者の部屋へようこそ!きのうは孫らが来て1日、多忙でした。(^_-)-☆
>私は伸さんショックで、ぼんやりと暮らしていますが、「米原万里」 の名前に惹かれてお邪魔します。
万里の名前に惹かれてと仰いますが、なぜ万里かお分かりですか?たぶんご存じとは思いますが、父親が誰にでも覚えやすいようにとの親心で万里の長城にちなんでつけたそうですよ。
>どんな有名作家の作品でも、大方は1,2冊よんで、もういいやとなる 場合が多いのですが、米原万里の場合は全作品を楽しめそうだと直感 しました。
万里党が1人増え大変嬉しく思っております。万里の肩書きをかぞえてみたら随分ある紋ですね。まず大学時代は民族舞踊研究会座長、旅行会社添乗員、同時通訳者(ロシア語通訳協会会長)、NHKロシア語講座講師、日本ペンクラブ常務理事、エッセイスト(講談社エッセイスト賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、作家(読売文学賞、ドゥマゴ文学賞)、翻訳家(カトー・ロンブ「わたしの外国語学習法」井上ひさし著「父と暮らせば」のロシア語訳。)、発明家(119の発明をした由。詳しくは万里著「発明マニア」参照。)
そのほか、付け加えるとすれば、シモネタ製作者か。(^_-)-☆(-_-;)
>定年退職をして、さて自由時間を作れそうだから、街の図書館に通ったり メッポウ気に入った作品は自分で買ったりして・・・と考えていた矢先、 彼女は逝ってしまいました。 >それから、私自身、滅入るような雑事に振り回されて、「嘘つきアーニャ」 止まりになっております。
アーニャで思うのは同じ共産党員でも、二つのゼンゼン正反対の階級から成り立っているっとこと。つまり万里のお父さんのような清貧型とアーニャのお父さんのような特権型。北朝鮮などは特権型に属すると思う。
1995年、万里は時間がとれたので、ルーマニアはブカレストにアーニャの実家を訪問することになるわけですが、この家がスゴイのです。屋敷は何人もの軍服が警備し、敷地にはテニスコートが三面あるという。建物は三階建てで東西七メートル、南北十八メートルの部屋(家ではなく一部屋の大きさですぞ)に、マルクス主義関係の本がギッシリ、とは何たる矛盾!お手伝いの入れてくれるコーヒーの器がざっと見たところ銀座でかるく60万はするという代物。
これは労働者の党の幹部の生活です。(@_@;)
>この度、紋次郎さんに嗾けられ、彼女への思慕の想いが再燃しました。
娘だけでなく、万里のお母さんもまたスゴイのです。政治家としても、1964年、日本婦人団体連合会国際部長に就任しています。そのため海外へ行く機会が多く、世界各地を歩き、訪問した国は全部で80ヶ国を上回るそうです。
さらに60歳になった1983年には、フランスはモンペリエ大学などに単身留学。帰国した86年には、フランス語の塾を始めたよし。またフランス語の翻訳出版まで手がけたそうで。この留学も誰の手も借りずたった一人ですべてやったというからオドロキです。
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