若ものに読んでほしい「この一冊」 

(期間:2010.4.1 - 2010.5.31)

若い方々へ
 4月、船出のシーズンです。進学、入社―――など様々な船出があります。しかし、乗りだす海は、逆風で波も荒いと思います。なかには、乗船する船が見つからず、やむなく港で待機しておられる方もあると思います。
 そんなとき、一冊の本が勇気を与えてくれるかもしれません。

シニアのみなさまへ
 子どもの時、若い時に読んだ一冊の本が、その後の人生に大きな影響を与えた・・・そんな一冊をぜひご紹介ください。ジャンルは問いません。漫画本などでも結構です。


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  • [No.118] お礼とお願い 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/26(Wed) 14:32
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    唐辛子 紋次郎さん  こんにちは

    ここの期間限定掲示板の入力有効期限もあとわずかですね。

    若ものに読んでほしい「この一冊」
    これはなかなか良い企画でした。
    唐辛子 紋次郎さんの活躍が目立ちました。

    この期間限定の掲示板のテーマは二ヶ月おきに変わるようです。
    マーチャンのお手伝いをしながら
    私も企画を考えることになりました。

    次回やその次のために、何か良さそうなテーマがありましたら
    提案してください。
    他の皆さんもお知恵を貸してくださいませ。
    いくらでも歓迎します。


    [No.117] Re: M.トゥエイン「赤毛布外遊記」―悪いお手本? 投稿者:   投稿日:2010/05/25(Tue) 22:52
    [関連記事

    > しかし、その後がいけない。英語が通じなかったと紋句たらたら。また、ウィスキーなどを注文して、お望みのものが出てこなかったといってはまた、不平たらたら。

     恐れ多くも天下の公用語である、金縁額入りの英語の通じなかったなどという不祥事は、ゼッタイにあってはならないことなのかもしれないが、それは別として、現地の観光ガイドの酷さについては、たしかに昔からあれこれと批判が多かった。たとえば、手元のL'Italien sans Peineは50年以上も前の本だが、このころにも同じような例があったらしく、こんなハナシが出ていた。

                 ローマのコロッセオで

     現地ガイド、ツアの団体客に向かって「えー、みなさま、大変お待たせ致しました。これがあの有名な、キリスト教徒が野獣を貪り食ったといわれているところでございます。ハイ。」←おいおい、その反対でねえのか、おらっちが聞いた話では、たしか、キリスト教徒は食われた方だったと思うがなあ。

     もっとも、この本、作ったのはイタリア人ではなく、フランス人だったが…。


    [No.116] Re: こころ 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/25(Tue) 10:27
    [関連記事

    > この漱石のこころの先生も友人は裏切ったかもしれないが
    > 奥さんがそういう結果を認めて、先生と結婚したことは後悔がなかったかもしれない。
    >
    > この小泉和子館長の妹の件も
    > 友達に恋人を奪われ気が弱くなって結局病気で亡くなったのだが
    > 友人とその結婚相手(妹の元恋人)が、その結婚で満足していたかもしれない。
    > つまり、妹とその友人を比較した結果、その男性が妹の友人を選んでしまったのかもしれない。

    武者小路実篤「友情」では
    主人公の恋を実らせようと、友人が動くのですが
    結局女性が、主人公より、その友人のほうを選んでしまって
    三人のうち二人の幸せ優先ということになってしまった。
    その結果、主人公は失恋の悲劇を一人で受けるわけですが
    ここには裏切りは感じられず、フェアプレーとか、愛の厳しさというものを感じてしまいます。

    人生を生きるということは、厳しいことなのです。


    [No.115] 第四の国難 投稿者:   投稿日:2010/05/25(Tue) 10:21
    [関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

       前野 徹 著 「第四の国難」 扶桑社 刊

    ……この第四の国難は、外圧と言うよりは 自ら決断する心を
    失ったがゆえの危機である。日本はこのまま滅びるのか。……

    GHQ の占領政策によって自主自立の尻コ玉を抜かれて腑抜けに
    なった日本人への警世の書である。

    なお、著者の前野徹氏は 読売・東京新聞などの記者を経て、
    五島昇氏の秘書に抜擢され・懐刀として活躍された方である。

                 瀬里恵


    [No.114] Re: こころ 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/23(Sun) 17:37
    [関連記事


    画像サイズ: 816×612 (81kB)
    > 夏目漱石「こころ」もお勧めです。

    > 人間は究極の場面では、やはり人を裏切ってしまうものである。

    さて話題が変わるのですが
     昭和のくらし博物館
    http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/book_kurashi_museum.html
    さいきん
    ラジオを聞いて小泉和子館長の
    昭和のくらし博物館のことを知り
    見学してきました。

    そうしたら
    小泉和子館長の妹のことを知り
    感じることがありました。
    その妹は美術の才能があり、展覧会に出す機会があり
    友人も一緒に出したのですが、それは自信がなく
    妹は自分の作品を、その友人と一緒の作品(共同作品)として出したところ
    入賞したそうです。
    友人はそのことで美術関係の就職できた。
    そして
    妹の恋人も結果的に奪ってしまったという。

    気の弱いやさしい妹
    姉の小泉和子たちは歯がゆかったのであろう。

    この漱石のこころの先生も友人は裏切ったかもしれないが
    奥さんがそういう結果を認めて、先生と結婚したことは後悔がなかったかもしれない。

    この小泉和子館長の妹の件も
    友達に恋人を奪われ気が弱くなって結局病気で亡くなったのだが
    友人とその結婚相手(妹の元恋人)が、その結婚で満足していたかもしれない。
    つまり、妹とその友人を比較した結果、その男性が妹の友人を選んでしまったのかもしれない。

    ふと、そう思いました。


    [No.113] 龍ロン 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/23(Sun) 07:09
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    おそらく たいていの若者はこの漫画を読んでいるだろうが
    改めてここに書いておきます。

    「龍」
    村上もとかによって 1991年から2006年までビッグコミックオリジナルにて連載された歴史ロマン漫画
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D-RON-
     1996年:第41回小学館漫画賞受賞

    村上もとかは、「六三四の剣」が盛岡を舞台にしたように
    岩手の出身ではないが、岩手にちなんだ話を扱うことがある。
    なんでも友人に会いにきて岩手が好きになったらしい。

    この漫画も、ヒロイン田鶴ていを岩手の貧しい農村出身としている。

    この漫画の主役押小路龍の恋人 田鶴てい
    チチキトクの電報でふるさとに帰る。
    東北は今年も大凶作で娘の身売りが続く。

    おさななじみの友だちがみんな集まる。
    大地主の小原の娘(友達で田鶴ていにも良くしてくれた)は、父の借金のため妾になる話がおこり
    妾になるのをいやがって
    恋人庄三と心中未遂を起こすが、結局盛岡の金持ちの妾となる。

    大凶作では秋祭りも中止だった。
    みんなを元気づけるため、田鶴ていを中心に村の若者たちは芝居をすることになる。
    一週間後に鬼剣舞のかっこうをして村人に芝居上演を知らせる若者。
    そして、当日に芝居の舞台が進むと同時に
    いっぽう大地主の小原家では大変なことになっていた。
    (ストーリーのテクニックとして、同時進行の話を進める作者)

    庄三はついに小原家の主人を殺そうと刃物を手にする。そこへ盛岡から来た娘の光代が現れ、それでは光代も殺して自分も死ぬという庄三に
    お腹の中の子供は庄三の子だと光代は言う。
    観念して、子供の将来を願う庄三は刃物を置く。

    東京に帰って
    小田安次郎の「息子よ」で若妻杉子役でひかる演技をした田鶴てい
    彼女は大女優となる。
    (小津安二郎がモデル?)

    舞台は満州に移り
    関東軍から大満州航空会社顧問になった龍に依頼が入り
    新京から奉天に大型旅客機を飛ばせ、奉天で重要人物を乗せて新京に戻ってくるようにと。
    甘粕正彦は満州皇帝を送る一緒の飛行機で
    のどの渇いた皇帝に龍が提供するワイン
    その皇帝の飲んだボルドーワインを甘粕も飲んだ。フランスにいたときよく飲んだという甘粕の言葉。
    だが、フランスの思い出は楽しいものではなかったという。

    -----------------

    甘粕正彦大尉といえば
    大震災後、大杉栄と伊藤野枝と、さらに、いたいけない6歳の子供まで殺した人物とされ
    軍法会議で裁かれ、千葉刑務所で刑に服したが
    その後フランスで妻と数年暮らしてから日本に帰ってきた。
    私の読んだ本には、罪を自分がかぶった甘粕正彦であったが
    結婚するとき相手の女性から聞かれ、自分は殺していないということを伝えたので
    その女性と結婚したことになっている。 (結婚の相手の女性もその家族も真相を知りたかったらしい)

    はたして甘粕正彦は大杉栄たちを直接殺したか、そうではなかったか
    それは今もなお謎である。
    この漫画では、甘粕正彦は人情をわきまえた魅力的な人物として描かれている(彼は組織のため罪を一人で背負った)。

    この漫画のヒロイン田鶴ていのふるさとを岩手の貧しい農村としているが
    そこはおそらく当時の沢内村(さわうちむら)であろう。
    沢内村は岩手県の内陸中部、奥羽山脈のふもとの豪雪地帯にある。

    沢内甚句
     「沢内三千石お米(よね)の出どこ、桝ではからねで箕(身)ではかる」
       和賀川上流の沢内盆地は米の産地として知られる。
       沢内村には、江戸時代に年貢を納めることができなかった庄屋(名主)が
       娘のおよねを領主に差し出して、免除してもらったという話がある。
       およねは、およね地蔵にまつられている。
    条件の悪い沢内村で三千石も米がとれたはずがない。
    これはかわいそうな村人とおよねを唄った歌だと教えてくださったのは、いまはなき農学部畜産科の菊池修二教授でした(菊池修二先生は岩手大学マンドリンクラブの創始者です)。

    中国の実冷の地黒竜江省で水稲栽培を成功させ
    中国政府から感謝されたのは、沢内村の「水稲王」藤原長作さんでした。
    http://pub.ne.jp/2135dera/?entry_id=1624968
    この話は日中共同制作のテレビドラマとなり長く歴史に残ることになったのです。

    沢内村は、現在隣の湯田町と合併し、西和賀町となりました。


    [No.112] M.トゥエイン「赤毛布外遊記」―悪いお手本? 投稿者:   投稿日:2010/05/22(Sat) 23:53
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     パソコンで、あかげっと、と入れても赤毛布とは出ない。広辞苑ならでる。やはり、広辞苑はエライのである。むかし、明治や大正のころならこういう面白い言葉が通用した。東京見物に外套がないので毛布をかわりに着こんで出かけた。田舎者の代名詞が赤ゲットだったらしい。

    もちろん著者のマーク・トゥエインは日本人でないからそんな言葉は使わない。原題はInnocent abroadとなっているそうだ。訳者は褒めちぎっているが、あっしはここにアメリカン・スタンダードの原型を見る。アメリカン・スタンダードこそグローバル・スタンダードだという。

     だからアメリカ人はという方向には持っていく心算はないが、アメリカ文明の欧州文明に対する優位というか、『強すぎる』自負が、あっしには感じられる。

     でも、さすがトゥエインである。このままだとただケチをつけただけといわれないように、ちゃんと手を打っている。中世の神学者アベラールと女の弟子エロイーズとの恋模様なども挿入して、読者へのサービスも忘れていない。

     しかし、その後がいけない。英語が通じなかったと紋句たらたら。また、ウィスキーなどを注文して、お望みのものが出てこなかったといってはまた、不平たらたら。今はフランスのホテルならたいてい何処でもミニバーに入っているはずだし、英語ペラペラ人間だってべつに珍しくもない。パリの空港など、日本語をしゃべるおっさんまでいた。トゥエインは、ちと早く生まれすぎただけである。

     著者にひとこと申し上げると、自国でも「当店、フランス語通用」の看板の出ているのと同じと書いているが、その箇所がイシ、オン、パルル、フランセーズとなっていた。ここは正確には、フランセでなくてはならぬはず。自国でも看板自体まちがっていることを棚にあげ他国のことばかりいうのもイカガナモノであろうか。(-_-;)これだけで見ても、あなたのお国だって、程度はそう変わらない。ほとんど似たような紋じゃないんでしょうかね、トゥエインさん。

     アメリカ人の読者も、五輪で何回も聞かされたれいのUSAの大合唱ではないが、愛国心は相当強いらしいので、その気持ちはよく分かるが、なにもこんな挑戦的なタイトルをつけなくっても、と思う箇所が少なからずある。

     たとえば、第二十章 コモだって?憚りながらアメリカにタホー湖がござる。第十三章 「カンカン舞踊」にはぞっとする 第二十二章 ゴンドラは水上をすべる霊柩車 第七章 道義もなければ、ウィスキーもない 

     ならあーた、ウィスキーのない国になんぞ、わざわざ行くなよ。うちでジッとして居れ、なんて云いたくなってくる。あっしなんぞ、日本と違ってるからこそ、却って面白いと感じるのだが…。

     いまなら、こうした悪口に終始したような、チョウ辛口の本は、書店の店先に置いても売れ行きが芳しくないのではないか。むしろ、お役立ち情報満載の本の方が一般読者には受けると思うが…。


    [No.111] Re: 曽野綾子:誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/19(Wed) 21:14
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    > 以下に印象に残った文章の一部を紹介します。

    追加です。

    旧約聖書の伝道の書には、すばらしい一節がある。
      天が下のすべてのことには季節があり すべてのわざには時がある。
      生まるるに時があり 死ぬるに時があり
      植えるに時があり 植えたものを抜くに時があり
      殺すに時があり いやすに時があり
      こわすに時があり 建てるに時があり
      泣くに時があり 笑うに時があり
      悲しむに時があり 踊るに時があり
      石を投げるに時があり 石を集めるに時があり
      抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり
      捜すに時があり 失うに時があり
      保つに時があり 捨てるに時があり
      裂くに時があり 縫うに時があり
      黙るに時があり 語るに時があり
      愛するに時があり 憎むに時があり
      戦うに時があり 和らぐに時がある
    もう3年遅くめぐり会っていれば、あるいは結婚したかもしれない相手と、少しばかり早く会いすぎることもある。しかし同じ梅の実でも未熟なものは、危険なのだ。同じ相手でも、時が来ぬ前はうまくいかない。道標は暗い夜道を歩くものの心をとらえるが、そこへ向かって突進したらやはり飛行機でも船でも航路を踏みはずす。道標は静かに見送って送らねばならないのである。それがいかに辛くとも。

    女性は、男と比べて運動能力においても、知性においても劣っていると私は思えるのだが、たったひとつ、優れているところがあるとすれば、それは、愛するものを盲目的に信じることである。
    女性は、本当は優しくもない。デリケートでもない。残忍なことをできるのは、男より女である。しかし、女は自分の夫や子どもをいったん信じたとなると、とことんまで、理性の力などかりずに、自分の信じるものを支持することができるのである。
    理性的であることのみが、世間的にみて、知的であるかのようなことをよく言われるが、たぶんそんなことはない。ものごとをなし遂げてきたのは、一部の理性的な計算とあとは狂的な執着なのである。
    たとえば作家にとって、何よりも大切なのは、自己に対する厳しさではなく、度はずれのナルシズムとひがみ根性かもしれないのだ。作家が冷静であり、理性的であることなど何ら創造的な意味を持ちはしない。
    それと同様に、家庭生活においても、大切なのは批判者よりも、支持者になることである。

        ーーーーーーーーーーーーー

    梅の実はそのまま食べると危険  梅干しにしてから食べましょう。
    芸術家は自分の作品は何よりも愛して、徹底的なナルシズムにとらわれるべきである。
    芸術は理性ではなく狂気なのだ。
    そのくらいの覚悟で、孤独で必死になって自己にとらわれないと、芽が出ない。


    [No.110] 曽野綾子:誰のために愛するか 投稿者:男爵  投稿日:2010/05/19(Wed) 17:13
    [関連記事

    期間限定のこの会議室
    もう一冊紹介します。
     曽野綾子の「誰のために愛するか」
    この本の出た頃と同じ時期
    やはり若い女性の間に評判になったのが
     三浦綾子の「道ありき」
    でしたね。

    私は他に石垣綾子の本も読んでいます。
    いわば三人の綾子
    このメロウ倶楽部にも、綾子さんはいらっしゃいます。

    さて
    石垣綾子はラジラルで身勝手な人という印象。
    戦前当時の閉鎖的な日本を嫌って恋人を残して一人アメリカに渡る。
    そして生涯の伴侶となる石垣栄太郎と出会い結婚する。
    ところが、そのとき栄太郎は結婚していたので、綾子は栄太郎のアメリカ人の妻から夫を奪ったことになる。
     (話は脱線しますが、今年の春に韓国旅行をしたとき、与謝野晶子訳の源氏物語のことを話したら、某日本人女性から、与謝野晶子は人の夫を奪った人だからと批判的な意見を聞きました。瀬戸内寂聴訳の源氏のことも話したので、こちら寂聴も同様に酷評されました。しかし、こういう男女の問題を体験した人の方が、源氏物語の理解があるかもしれません)

    三浦綾子は戦前は小学校教師だった(実は私の父親は同僚だったので、あの綾子がそんな小説を書いたとはと感想を言っていたことがあります)。
    終戦になって、教科書に墨を塗らせたとき、戦前の教育が間違っていたのか、ともかくその日から百八十度転換するということに絶えられなかったらしい。
    今までが間違っていたのか、今までが正しくこれからそうでなくなるのか、それはどちらでも三浦綾子にとっては、教師としての人生を続ける気持ちはなくなってしまった。
    ということで人生いかに生きるべきかを悩み、結核になったのもあって、一時は自暴自棄の生活を送るが、命の恩人に救われ、その恩人は世を去り、自分が残された人生を神のしもべとしておくる決心をする。

    というのは前座で、この曽野綾子の本が本当のテーマです。
    人のことを責める割には自己中心的な印象の石垣綾子
    病気をなんとか克服し、夫の愛と信仰に生きた三浦綾子
    それらにくらべると
    曽野綾子は結婚して息子もいるので、普通の家庭の主婦として、常識的な考え方を身につけています。

    以下に印象に残った文章の一部を紹介します。

    私は娘時代に、ボーイフレンドたちと箱根にキャンプに行ったことがある。折あしくその夜、雨が降ってきた。すると一人の青年はレインコートを取り出して着たし、もう一人はシャツを脱いだ。
    この二人は、それぞれそれらしい出世の仕方をしている。レインコートの青年は、役人として緻密な仕事をしているし、シャツを脱いだ青年は商社マンになって、アフリカの未開発民族に日本製の自動車を売っている。
    あの箱根の湖畔の夕方のひとつの光景は、驚くほどの正確さで二人の青年の未来を暗示した。
    二人の青年はともに賢かったのである。その先は、どちらの性格を好むかというだけであろう。

    私は、いわゆる名妓といわれているような人から
    「やっぱり、いいのは地位とお金と名誉だわねえ」
    などと言われると、正直でいいと思うのだけど、やはり長時間、この説は正しいと考えていようとすると、だいぶ無理がきてくたびれてしまう。本来ならこういう考えは、世間ずれした男女のものであった。それが今では若い娘さんにまでこのような考え方が入ってきているらしい。
    お金をもうけるのは、貧乏から解放されるためだ。千円を落としたために、どせうてんしてしまい、数日間考えごとができなくなった、というようなわびしさから自分を自由にするためだ。
    出世がいいとすれば、自分はダメな奴だったんだと思うひがみから解き放たれるためである。自分に自信がある人ほど威張ることはない。つまりそこでも、人間は自由にふるまえるからである。
    そして、名誉をも得た方がいいとすれば、それが人間にとって、実は予想外にむなしいものであることを知って本来の慎ましい人間の感覚を取り戻すためである。

    本当にこの人と結婚すべきだろうか、という疑いを持ち続けたままで結婚する娘は多い。
    初めはいい人のように思えていたけれど、つき合っているうちに、彼の不実さや、癖がいやになったという人がいる。
    それでもなお結婚すべきか。
    私は長い間、おやめなさい、と答え続けてきた。少しでも納得のいかない点があったら、結婚式が一週間後に迫っていようとも、おやめなさい、と言いつづけてきた。
    キリスト教の国で、神父や牧師が、結婚式のとき花婿と花嫁に
    「あなたはこの○○を、あなたと妻(夫)としますか」
    と聞くのは、格好をつけるためだけではないのである。
    西洋にも無理強いの結婚があって、そのような不幸な目に若い人をあわせないために、教会は最後のチェックをするのである。

    結婚は妥協しないほうがいい。相手の欠点が楽しいと思えなければ、我慢して結婚しないほうがいい。
     しかし、それがまた必ずしも正しくはない。たいして好きでなくても結婚して何十年か経ってみると、二人はいい夫婦だったと思う、という人がいる。
     こういう夫婦の場合、必ずといっていいほど、男は我慢強く、誠実で、しかも妻に寛大な人である。
     男が我慢が悪く、不誠実で、妻に口やかましい人は、ほとんどこの結婚の不思議な自覚に到達していない。


    [No.109] 泉鏡花の「高野聖」 投稿者:   投稿日:2010/05/18(Tue) 21:01
    [関連記事

     まだお盆にはチト早いが、この部屋も今月一杯でおわりだ。そこで感動を誘うような教訓的なお話だけでなく、コワ〜イお話もときには大事なのではないかと思って、上掲の本を挙げた。

     なんといってもこの方の大家は泉鏡花だ、とあっしは勝手に決めている。恐怖小説の書き手はほかにもいるが、何と云っても芥川や直木三十五のように、鏡花は文学賞に名を冠しているのだから読む価値は大いにあると思う。じつはこの作家は亡妻のお気に入りで、あっしはひとの読むものは読まぬ主義に徹していた天邪鬼なので一度も読まず仕舞いだった。

     それが何のきっかけか、もう覚えていないが、何となく読んでみて驚いた。100年以上も前の「高野聖」の描写はただただスゴイ、と思った。至極当たり前の話だが、あっしにはこれは到底書けないと思った。それよりコレを読んでから暫く、あっしは暗い道がひとりで歩けなくなった。(-_-;)

     怖いもの知らずということばがある。これはそのプラスの面が強調されることが多いが、マイナス面もないわけではない。最近のいわゆる『英雄的行為』なんぞも、そのうちに入るような気がする。

     いわゆる『英雄的行為』に走らないためにも、若者には、へらへら笑う漫才だけでなく、こういう読書も必要だと思えてくる。

     山中の描写はとくに圧巻で、ヘビやヒルにさいなまれ、聖が難行苦行する有様が手に取るようにわかる。この難行のあとに、この世のものとも思われぬ天女のような美女が現れるが、これなどもさすが読者を喜ばせる手練手管を心得た、鏡花ならではの配慮といえるのではないだろうか。


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