[No.422]
食材としての米、麦、イモ、野菜など
投稿者:男爵
投稿日:2014/04/03(Thu) 15:03
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日本人は
米、麦、イモはいつころから食べるようになったのか。
小麦は粉にしてパン、めん類に
野生のコムギの原産地は西アジアのカスピ海沿岸地方。約1万年前、メソボタミア地方(現在のイラク)で栽培がはじまった。
小麦は粉にしてパンやめん、だんごなどにして食べる。
この小麦粉を水で練った生地をそのまま焼いたものが、現在も西アジアやインドなどで食べられている無発酵パン(ナン)。
そして、この生地をパン酵母などで発酵させると、炭酸ガスが発生して生地がふくらむ。ふくらんだ生地を焼いたものが、現在の普通の発酵パンである。
栄養の面からみても、小麦は米にくらべてふくまれる必須アミノ酸が少ない。パンだけで体を維持するためには大量に食べなければならない。それならば肉や魚で動物性のタンパク質ろをとったほうが効率的となるので、欧米ではパンと一緒に肉をとるわけである。
米は栄養満点
野生のイネの原産地は中国の南部からインドにかけての地域とされ、葯6千年前に栽培がはじまったといわれる。温暖で湿気の多い土地をこのむ植物だったため、ユーラシア大陸の乾燥した西へは伝わらなかった。
小麦は粉にして食べるが、実のまわりの皮がむきやすい米は、つぶのまま食べる。日本のもちやだんご、アジアのほかの国でももち類やめん類など、つぶしたり粉にしたりして食べる方法もあるが、つぶで食べるのが主流。
米には、必須アミノ酸が多くふくまれている。一日5合の米を食べれば、成人男子が必要なアミノ酸のかなりの量とエネルギーがとれる計算となる。つまり、米を中心に食べ、あとは大豆や野菜、魚で少し栄養をおぎなえば、体にはじゅうぶんなのだ。
さらに、米の栽培面積あたりの収穫量は小麦の1.5倍であり、たくさんとれて栄養満点という、たいへんすぐれた穀物なのである。
トウモロコシ、イモ類、雑穀
約1万年前、中央・南アメリカでは、野生のトウモロコシとジャガイモなどを栽培する農業がはじまった。主食として大きな役割をはたしたのはトウモロコシだった。乾燥したトウモロコシは粉にして水で練り、そのまま平焼きパン(トルティーヤ)にして食べる。
ちなみに、中央・南アメリカを原産地として、世界中に広まった農耕作物には、トウモロコシ、ジャガイモのほかに、サツマイモ、カボチャ、トマト、トウガラシ、ラッカセイ、タバコなどがある。
東南アジアの熱帯地方の原産地で栽培がはじまり、パプアニューギニアやオセアニアの島国、のちにはアフリカの一部でも主食になったものに、タロイモ、ヤムイモといったイモ類がある。これらのイモは、焼いたり蒸したりして食べる。
だが、イモ類を主食にするには大きな欠点がある。水分が多く栄養が少ないので、大量に食べなければ体を維持していけない。そして、生のままでは保存ができないことだ。ただし、熱帯多雨の環境では、一年中の収穫が約束されるから、この欠点は問題にならない。
昔、日本には野菜はほとんどなかった
大昔の日本人が食べていた野菜は数多くはなかった。あったのはフキ、セリ、ウド、ヤマノイモ、タケノコ、キノコ類ぐらい。あとは山菜や野草のワラビ、イタドリ、ノビル、タラノメ、ヨメナ、ハコベくらい。
3世紀中国の「魏志倭人伝」に、邪馬台国では「ショウガ、サンショウ、ミョウガを生で食べる」という記述があるが、これらは生魚にそえる薬味として使われたようだ。
8世紀になると、記録には、カブ、ダイコン、ネギ、ニラ、ナス、サトイモ、レンコン、ウリなどが食べられるようになった。
レタスはチシャと呼ばれ奈良時代の8世紀にすでに栽培されていた。
ニンジン、ジャガイモ、サトイモの日本伝来は16世紀末、戦国時代の終わり頃。
トマトとキャベツは江戸時代なかばの18世紀はじめだが、明治時代になるまで観賞用の植物だった。タマネギも同じ頃伝来したが、独特のにおいのため食べる人はいなかった。
白菜が中国から伝わったのは明治になってから。さらに食べられるようになったのは日露戦争後。
日本人は野菜を生で食べる習慣はほとんどなかった。ショウガ、ワサビ、ネギなど生魚などを食べるときの薬味以外は、ダイコンおろし、とろろイモが、ほとんど例外。日本では野菜といえば、漬けものか煮ものにして食べるのが普通だった。生野菜を食べる習慣は、明治時代になって西洋料理のサラダとともにはじまったが、なかなか普及しなかった。
岡田哲監修:食べものの大常識 ポプラ社