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「描き残したい昭和(新見 睦)」から 子どもの遊び

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2015/11/17 8:38
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 はじめに

 この記録のメロウ伝承館への掲載につきましは、
 新見 睦様のご了承をいただいております。

 メロウ伝承館スタッフ

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 楽しみな幻燈会 1940年

 さて幻灯会というのがありました楽しみだったのです。それを考えれば随分映像文化は進歩したものです。「楽しみな幻灯会」昭和25年(1950年)現像に失敗して透明になった写真フィルムに絵を描きます。
 六六版を使いました。フィルムを幻灯機に挿し入れて投影する。幻灯機は今でいえばスライドプロジェクター。暗幕など洒落たものはありません。それで暗くなってから近所のガキどもが幻灯機の兄さんの家に集まってきます。語りが上手なお兄さん。話に聴き入る。絵もお兄さんが描いた。猿飛佐助、タンクタンクロー、丹下左膳、のらくろ二等兵など当時の漫画を見せてくれました。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/18 6:44
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 百人一首 1954年

 中村さんの百人一首の写真を見てなんと懐かしく思い出しました。私の兄弟もみんな得意です。一番下の弟がまだやりたての頃、得意な一枚がありました。「いまこんとオー」です。兄弟はそれを知っているので取るまで待ってあげる。こうして得意を増やしていきました。百人一首は今や孫たちにまで伝搬しました。百人一首のいかにも日本的情緒感覚はだれにでも知ってほしいです。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/19 6:50
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 線香花火 1954年

 描き残したい昭和です。「線香花火」昭和29年(1954年)水をいれたバケツをそばに置く。風に当たらないように風を背にしてマッチに火をつける。手で包むように線香花火の先を囲み、紙の部分に火をつける。紙がひらひらと燃えてやがて火薬に燃えうつって「パチパチパチ」火の玉が柄の先で踊る。辺りが明るくなった。揺らすと球が落ちるから動かさないように。誰のが一番長持ちするか。火薬の匂いがあたりに漂う。燃え尽きると芯の先から焦げた煙が上がる。バケツに投げ捨てると「ジュッ」。紙袋から次の花火を取り出す。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/20 6:47
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 いなごとり 1950年

 今でもデパ地下で売っていますいなごの佃煮、ちょっとつまんでみたくなりますが。「稲穂の波にいなごとり」昭和25年(1950年)イナゴをとりに稲穂の波に分け入ります。捕ったイナゴは竹の筒をくぐらせて紙袋に。紙袋は竹筒に巻きつけてある。袋の中で元気なイナゴがガサガサ音をたてる。捕ったイナゴは袋ごと鉄なべに入れ蓋をして熱する。イナゴはバタバタ暴れるがやがて静かになる。袋から出して砂糖醤油で炒る。ちょっと口の中が痛いが香ばしくおいしいのです。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/21 6:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ドッジボール

 「ドッジボール」ドッジは英語で「ヒョイとのける」「ひらりとかわす」の意味がある。小学生の間ではかなり昔から親しまれている競技。コートを二分し、敵味方に分かれて相手にボールを投げつける。投げられた球をかわせばセーフ。玉をキャッチしたら敵に投げて当てる。玉に当たった人は外野に出る。外野は内野の敵に当てれば復活できる。単純で明快。楽しいスポーツだ。逃げる。かわす。キャッチする。返球する。これでこどもの運動機能はどんどん向上した。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/22 6:41
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 エビガニとり 1951年

 描き残したい昭和を描いています
「でっかいエビガニとったぞー」昭和26年(1951年)
子どもらは小川が大好きだ。大人だって今も水辺に来るとたちまち故郷がよみがえる。川に来ると水の中を覗き込む。何が居るか、水が浅ければ上から水底が見える。狙いはエビガニ。道具は糸に付けた煮干しやスルメイカ。餌にしがみついた真っ赤なエビガニ(東京下町ではマッカチンと呼んだ)を首尾よく釣りあげたときのうれしさ。戦後はみんなこれを夕食のおかずにした。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/23 8:11
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 あこがれのカメラ 1952年

 「あこがれのカメラ、いつも見に行くが」昭和27年(1952年)墨田区寺島町五丁目大正通りのカメラ店スミタ屋。蛇腹のカメラがずらりと並ぶ。戦後まもなくスタート35というカメラが売り出された。シャッタースピードは1/30とB(バルブ)だけ。ファインダーは素通しだった。それでもよく写って重宝していた。しかし、蛇腹カメラ。シャッタースピードは格段に豊富で1/300まである。絞りも何段階にもなっていてその複雑さがとても魅力的だった。いろいろ加減できるカメラが欲しい。マミヤ、フジカ、ミノルタと多彩。ドイツの二眼レフ、ローライやライカも最上段にあった。まもなくリコーの二眼レフが売り出されるが、蛇腹カメラの魅力から離れられない。しかし、少年の夢は叶わなかった。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/24 7:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 メンコ  1952年

 メンコはたくさんの思い出があります。昭和27年頃のこと。体力も知恵もついてきた小学6年。いつもの広場に集まってくるワルガキたち。弱そうなのを選んで勝負を挑む。勝てば相手の持ち札を奪い取れる。ところがいつも弱い相手とは限らない。駆け引きと体力に勝る強い相手だと作戦を工夫しなければならない。親札の縁を湿らせろうを塗って重くする。体力には技能で対抗する。勝って一抱えも獲得した時はご機嫌の口笛で家に帰る。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/25 13:25
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 蕎麦屋のテレビで大相撲 1954年

 匂いや音を感じることのできる絵を描いてみたい。私の中学一年の時、昭和29年1月場所大相撲を思い出しました。そば屋です。当時テレビはまだ世の中に出たて。テレビがあるのは椎名町商店街で肉屋と床屋、そば屋ぐらい。大切そうに店の奥、高いところに置いて客の関心を誘った。吉葉山・鏡里の千秋楽の対戦。吉葉山勝って全勝優勝。わたしはそば屋のテレビをガラス越しに観戦。大雪の中寒さを忘れて大いに沸きました。テレビ中継は白黒。土俵の四本柱はまだあったときのことです。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/26 7:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 荒川放水路でハゼやボラ釣り  1953年

 描き残したい昭和 「広大な水辺、荒川放水路」昭和28年(1953年)四ツ木橋の下流の荒川放水路河川敷は、本流から流れ込む支流の小川が縦横に広がっていた。セイゴ、ボラ、クチボシ、マルタ、ハゼ、タナゴ。魚があふれていた。四手網。これが脅威。小網で水辺を弄る僕らにとって四手網の効率が憎らしい。支流を離れて本流に行ってハゼやボラ釣りをする。餌はミミズかゴカイ。荒川は関東ロームを運んできた泥の川なので河川敷は泥。川の水も粘土色。多摩川のように石はなかった。泥を掘るとゴカイやイソメがいた。竿は述べ竿。もっとも簡単な仕掛けでどんどんハゼが釣れた。ジャムとバターを塗ってはさんだコッペパンを大正通りのパン屋フジパンで買う。20円だった。こんなうまいものがあるかというほどおいしいもので、ゴカイ臭い手を川で洗ってパンをほおばる昼が楽しみだった。一日中魚取りに熱中した。釣った魚は家に持ち帰って晩のおかずになった。今の荒川放水路はどうなっているだろう。


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