「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 1 面白い大道行商人
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 1 面白い大道行商人 (編集者, 2016/5/1 12:34)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 2 信越本線 横川の釜飯 (編集者, 2016/5/2 9:12)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 3 火の用心の夜回り (編集者, 2016/5/3 7:35)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 4 「君の名は」の時間 (編集者, 2016/5/4 6:59)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 5 「ヨイトマケ 復興の槌音」 (編集者, 2016/5/5 6:20)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 6 駅の伝言板 (編集者, 2016/5/6 6:36)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 7 終着駅で顔を洗う (編集者, 2016/5/8 7:56)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 8 野犬狩り (編集者, 2016/5/9 8:02)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 9 おそばの出前 (編集者, 2016/5/11 10:52)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 社会 10 朝の音 (編集者, 2016/5/12 8:17)
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面白い大道行商人 1951年
いろいろなタイプの行商人がいた。昭和26年ごろの東京向島。道端に座って通りがかりの人を呼んで台に並べたものを売る。人を集めるのに仲間が数人いて、売り買いのやりとりをしている。「どうしても今日売ってしまわないと怒られてしまう」「それはかわいそうだ。どれどれ。結構いいものじゃねーか」覗き込む通りがかりの人がひきつけられて続けて買ってしまう。そばで見ているととても掛け合いが上手。子供心に楽しめた。見物人も芝居好きの下町の人たち。
いろいろなタイプの行商人がいた。昭和26年ごろの東京向島。道端に座って通りがかりの人を呼んで台に並べたものを売る。人を集めるのに仲間が数人いて、売り買いのやりとりをしている。「どうしても今日売ってしまわないと怒られてしまう」「それはかわいそうだ。どれどれ。結構いいものじゃねーか」覗き込む通りがかりの人がひきつけられて続けて買ってしまう。そばで見ているととても掛け合いが上手。子供心に楽しめた。見物人も芝居好きの下町の人たち。
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信越本線 横川の釜飯 1962年
夜行列車の楽しみは駅弁。なかでも信越本線の峠の釜めしはいちばんの楽しみでした。描き残したい昭和です。「横川の釜めし」昭和36年(1961年)みんな楽しみでした。夜行列車の信越本線。碓氷峠の入口にある横川駅。ここで駅弁の釜めしを買うのです。停車時間を気にしながら「こっちにもお願いしまーす」弁当を運ぶおばさんを呼ぶ。おいしそうなおかずがぎっしり。食べたあとの釜。素焼きの益子焼です。持って帰ってそれを使って釜めしを作ることもできました。でもやっぱり旅先の楽しみで食べるのが一番でした。
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火の用心の夜回り 1956年
今も時折見かけるの火の用心の夜回り。まだ薪や炭を使っていました昭和、描き残したい昭和です。「火の用心」昭和31年(1956年)夜8時時、どの家も夕食が終わった頃でしょうか、残り火の始末など気をつけてくださいと。豊島区長崎の町内会は冬になると火の用心で町内を廻る。ちょうちんを提げて。拍子木を叩きみんな揃って〝火の用心〟の掛け声。寒いので町内のお父さんたちです。30分ほどで大体町内を一周。「はい、ごくろうさん」このひとことでご町内の交流ができ、なんだか暖かい気持ちになりました。
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「君の名は」の時間 1952年
君の名は を知る人はもう少ないだろうな。描き残したい昭和です。NHKラジオドラマ「君の名は」の時間 昭和27年(1952年)当時一世を風靡したラジオドラマ「君の名は」夜8時半銭湯の女湯から人が消えた。戦後7年がたったが、まだ人々の戦争の傷は癒えなかった時代。みんな自分の戦後の現実を、
後宮春樹(北沢彪)と氏家真知子(阿里道子)のドラマに重ね合わせて共感し感動し涙した。その時間を毎日心待ちにしていた。脱衣場はガランとして人がいない。
客は男の子ひとり。
「君の名は」のテーマ曲の悲しげな古関裕而のハモンドオルガンは少年の心にも響いた。
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「ヨイトマケ 復興の槌音」 1951年
建国の日に思う国土復興の戦後です。美輪明宏作詞作曲のヨイトマケの歌を聞くと今も涙があふれます。「父ちゃんのためならエンヤコラ母ちゃんのためならエンヤコラもひとつおまけにエンヤコラ子供の頃に小学校でヨイトマケの子供汚い子どもといじめぬかれて囃されて悔し涙にくれながら泣いて帰った道すがら母ちゃんの働くとこを見た」「復興の槌音」昭和26年(1951年)戦後復興の墨田区寺島町(現東向島)。
あちこちで槌音が聞こえる。
建築、普請は全部人力。
家の土台や道路工事にはヨイトマケが活躍した。
八人で縄を引っ張る。
滑車が回って太い丸太が持ち上がる。「ドーン」地響きをたてて地面に落ちる。「ヨイトマケ」はその労働者のこと。
日雇いだった。
「土方」「ドカチン」と子供らは囃し立てたが、玉の汗で働く姿。
復興に働く尊い姿でした。
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「駅の伝言板」(1985年)
もはや隔世の感があります。描き残したい昭和です。「駅の伝言板」
昭和60年(1985年)このころはまだ携帯電話は普及していませんでした。人との待ち合わせは駅の改札口。待っていて時間までに来ない場合はどうしたか。伝言板があってそこにメッセージを書く。「花子へ、待ってましたが先に行きます12時15分 太郎」伝言板はおもしろい。待っている間、伝言板を見ていると人と人との関係が想像できて人生の縮図を感じていました。
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「終着駅で顔を洗う」1965年
描き残したい昭和。ホームで顔を洗って身支度を整えたものです。「終着駅で顔を洗う」昭和40年(1965年)東京駅23時発寝台急行銀河は明け方大阪駅に着く。駅のホームに洗面台がある。列車にも洗面台があるが並ぶし、揺れるので落ち着かない。それでホームの洗面台に向かう。これでサッパリ。一日が始まる。新幹線はすでに開業していたが、朝の会議には早朝につく銀河がビジネスマンによく利用された。
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野犬狩り 1954年
街に野犬が増えて保健所は野犬狩りに乗り出しました。描き残したい昭和です。「野犬狩りが来た」昭和29年(1954年)野犬が横行し狂犬病の恐れが高まりました。保健所のお役人が捕獲器を手に野放しになっていた犬を捕獲にやってきます。お役人を子どもらは「犬殺し」と呼んでいました。野犬を追う姿がとても恐ろしいのです。知っている犬が野放しになっていると飼い主に知らせに懸命に走りました。捕獲して一週間して飼い主が現れないと犬は殺処分されました。こんな時代があったのです。
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「おそばの出前」 1953年
描き残したい昭和「おそばの出前」 昭和28年(1953年)
「オットトットト」通る人はそう見るが、
おそば屋のお兄さん、いささかも危なげない。黒の漆塗りの蒸籠を何段もお盆に重ねて。そばつゆも載っている。右手でブレーキ。蒸籠はちょっと揺らぐ。
お盆を支えながら、ヒョイと空中に右足を翻す。スタンドを立て、自転車を固定。
「はーい、おまちど」
そばつゆの香りが漂う。豊島区長崎のおそば屋さん「長寿庵」のお兄さんの雄姿でした。
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「朝の音」 1955年
描き残したい昭和「朝の音」 昭和30年(1955年)椎名町商店通りの朝は早い。はす向かいの豆腐屋「小池屋」は一番早起きの店。店先のおからの蒸気が立ち上がるころ、牛乳配達のお兄さんの自転車が行く。荷台に乗せた箱の中の牛乳瓶。その当たる「ガチャガチャ」という音がまだ闇夜の家にこだまする。空の瓶もこれから配達する瓶も一緒に箱に詰まっているので、当たる音の音が二種類聞こえた。やがて新聞配達の新聞をしごく音。「キューキュー」っとしごいて新聞受けに投げ入れる。新聞を取り出すと印刷のいい匂い。そしてご飯が炊きあがるころ、納豆売りの売り声が聞こえてくる。「ナットナットーナット」駅弁売りのような底の浅い箱に藁苞に入った納豆が山盛りになっている。空が白々と明け商店街の朝が始まる。朝の売り子には同級生もいた。中学生だったけれども家業を手伝い、生計を助ける働く仲間だった。