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Re: 「特集」私が小学生であった頃

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変蝠林

通常 Re: 「特集」私が小学生であった頃

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/3/20 13:10
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
としつるさん
精細な回顧録《かいころく=過去のの経験などを記した自分史》、感服して拝読致しました。
高崎も軍都だったのですね。

我が静岡も軍都、家康《徳川初代将軍、徳川家康》の築いた駿府城《すんぷじょう》を中心に発展した城下町で、呉服町とか下魚町(しもんたな)茶町金座町など旧い名前が沢山残って居ます。私は鷹匠町《たかしょうちょう》と言う貴方《あなた》と同じ様な環境の町で育ちました。城内には静岡歩兵第三十四聯隊が在り、橘中佐《たちばなちゅうさ=日清・日露戦争の英雄》の銅像が営門の上に建ち通過の度に脱帽敬礼したものでした。

記憶に強く残るのは外堀と内堀の間に在った大きな監獄《かんごく=刑務所》でした。
五米以上の赤煉瓦《あかれんが》壁に囲まれた獄門(?)からは毎日の様に編笠《あみがさ=菅やわらなどで作っただ笠》を深く被《かぶ》り紐《ひも》で繋《つな》がれた囚人達が市内の清掃などに連れ廻される姿でした。赤衣は重罪犯、青衣は軽罪犯で親達は子供達に罪と罰を教えたものでした。

現在の所謂《いわゆる》刑務所は衆人の眼に触れず時遇《ときたま》テレビに映る内情は實に豪華、段ボール組《=路上生活者》が憧《あこが》れぬのが救いと映《うつ》る有様です。
人権重視が人権軽視に連ならぬかと危惧《きぐ=気がかり》される次第です。

                      本日はこれまで。




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変蝠林

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