Re: 蒸気消防車
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変蝠林
居住地: 横浜市 オオクラヤマ
投稿数: 22
大正十年には未だ四歳でしたが十三年頃に静岡市茶町の叔母の処に
預けられて居て之《これ》は良く見ました。
後を手押しポンプが続きました。
燃料が木炭か石炭だったので走る後に赤い焼殻《もえがら》をポタポタと落して行きました。 今のアスファルト道だと大変ですね。
當時はサイレンは無く火事は半鐘《はんしょう》で知らされました。
ジャンジャンジャンと鳴らされるのがスリバンと言って近火の意味
でした。 八百屋お七の頃と変りません。
鎮火するとジャン・・ジャンと間を置いて打たれ安心して家に入ったものです。
余事《よじ=他事》ながら私は地震雷火事が好きで親父は嫌いでした。矢張り変。
預けられて居て之《これ》は良く見ました。
後を手押しポンプが続きました。
燃料が木炭か石炭だったので走る後に赤い焼殻《もえがら》をポタポタと落して行きました。 今のアスファルト道だと大変ですね。
當時はサイレンは無く火事は半鐘《はんしょう》で知らされました。
ジャンジャンジャンと鳴らされるのがスリバンと言って近火の意味
でした。 八百屋お七の頃と変りません。
鎮火するとジャン・・ジャンと間を置いて打たれ安心して家に入ったものです。
余事《よじ=他事》ながら私は地震雷火事が好きで親父は嫌いでした。矢張り変。
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変蝠林