蒸気消防車
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投稿日時 2004/5/10 11:08
リフレー
居住地: 此岸
投稿数: 20
これは 大正10年頃の 消防出初式?での私の 実見記です。
写真がないのが残念ですが、蒸気ポンプ車 が正しいのでしょうか、
蒸気の圧力でピストンを 作動して 放水し消火活動に当たる
当時の消防ポンプ は 手押し式(四人一組)が主力でしたが
多数の手押しポンプの中に 一際目立つガソリン ポンプ と
蒸気ポンプが 各一台宛《あて》お目見えした訳です。
どちらも 手曳き《てびき》 で この 蒸気ポンプ車は 石炭を焚《た》いて
黒い煙を吐きながら しゅっぽ しゅっぽ と宛ら《あたら=あたかも》機関車の
ような勢いがありましたが 機能的には今一つだったのでしょう
それ 出火と言う時に 火を入れ お湯を沸かしながら現場に
想像して、、、笑いがこみ上げて来ますね。古き良き時代??
の想い出のお粗末でした。
リフレー
写真がないのが残念ですが、蒸気ポンプ車 が正しいのでしょうか、
蒸気の圧力でピストンを 作動して 放水し消火活動に当たる
当時の消防ポンプ は 手押し式(四人一組)が主力でしたが
多数の手押しポンプの中に 一際目立つガソリン ポンプ と
蒸気ポンプが 各一台宛《あて》お目見えした訳です。
どちらも 手曳き《てびき》 で この 蒸気ポンプ車は 石炭を焚《た》いて
黒い煙を吐きながら しゅっぽ しゅっぽ と宛ら《あたら=あたかも》機関車の
ような勢いがありましたが 機能的には今一つだったのでしょう
それ 出火と言う時に 火を入れ お湯を沸かしながら現場に
想像して、、、笑いがこみ上げて来ますね。古き良き時代??
の想い出のお粗末でした。
リフレー
マーチャン
居住地: 宇宙
投稿数: 358
リフレーさん
引用:
とても、貴重で、でも、どこかユーモラスなお話をありがとうございました。
「火事だぁ」というと、火を入れてお湯を沸かしながら現場にかけつけてくるーーーなんて想像もつきません。
消防車が「シュシュポッポッ」とやってくるーーーというのも楽しいですね。
それでも、時代劇でみる「天水桶」《てんすいおけ=防火用に雨水をためて置く桶》の時代からみれば大進歩なのですね。
当時から、消防車は、やはり「赤一色」だったのでしょうか。
引用:
どちらも 手曳き で この 蒸気ポンプ車は 石炭を焚いて
黒い煙を吐きながら しゅっぽ しゅっぽ と宛ら機関車の
ような勢いがありましたが 機能的には今一つだったのでしょう
それ 出火と言う時に 火を入れ お湯を沸かしながら現場に
想像して、、、笑いがこみ上げて来ますね。古き良き時代??
の想い出のお粗末でした。
とても、貴重で、でも、どこかユーモラスなお話をありがとうございました。
「火事だぁ」というと、火を入れてお湯を沸かしながら現場にかけつけてくるーーーなんて想像もつきません。
消防車が「シュシュポッポッ」とやってくるーーーというのも楽しいですね。
それでも、時代劇でみる「天水桶」《てんすいおけ=防火用に雨水をためて置く桶》の時代からみれば大進歩なのですね。
当時から、消防車は、やはり「赤一色」だったのでしょうか。
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
リフレーさん こんにちは!
大正10年《1921年》頃の 消防出初式の実見記、拝見しました。
蒸気消防車とは、当時では先端を行ったものだったので
しょうね。
どのような物か興味があって探してみたら、五所川原《=青森県》消防団
のホームページに画像がありました(-^〇^-)
幸い、転用許可が頂けたので、掲載します。
引用:
こちらのは馬が引くものでしたが、やはりそれまでの手動式
に比べれば、可也《かなり》の成果を上げたようですよ('-'*)
「蒸気ポンプ車、太郎号」の説明は次のようです。
*********
購入 大正2年《1913年》5月 東京市原消防ポンプ製作所
3,000円(現在の価格で1,000万円)
当時、消防戦力としては腕用ポンプが主流の中にあって、蒸気の力で連続放水できる画期的な消防ポンプでした。
大正11年の劇場火災、昭和19年《1944年》及び22年に発生した当市の大火において、完全鎮火まで一週間連続放水するなど、当時の消防ポンプとして驚異的な活躍をしております。
大火での活躍が雑誌等で全国に紹介され、ドラマや映画等にも出演しました。
「太郎号」を購入する以前、明治44年6月に「花子号」という姉弟にあたる蒸気ポンプも配備されており、「花子号」は青森県消防学校へ寄贈され、学校内の青森県防災センターに展示されております。
**********
では、当時の五所川原消防団の写真と一緒に掲載してみます。
「五所川原消防団」は下記URLです。
http://www.net.pref.aomori.jp/goshogawara/syobo/syobodanindex.html
大正10年《1921年》頃の 消防出初式の実見記、拝見しました。
蒸気消防車とは、当時では先端を行ったものだったので
しょうね。
どのような物か興味があって探してみたら、五所川原《=青森県》消防団
のホームページに画像がありました(-^〇^-)
幸い、転用許可が頂けたので、掲載します。
引用:
どちらも 手曳き で この 蒸気ポンプ車は 石炭を焚いて
黒い煙を吐きながら しゅっぽ しゅっぽ と宛ら機関車の
ような勢いがありましたが 機能的には今一つだったのでしょう
こちらのは馬が引くものでしたが、やはりそれまでの手動式
に比べれば、可也《かなり》の成果を上げたようですよ('-'*)
「蒸気ポンプ車、太郎号」の説明は次のようです。
*********
購入 大正2年《1913年》5月 東京市原消防ポンプ製作所
3,000円(現在の価格で1,000万円)
当時、消防戦力としては腕用ポンプが主流の中にあって、蒸気の力で連続放水できる画期的な消防ポンプでした。
大正11年の劇場火災、昭和19年《1944年》及び22年に発生した当市の大火において、完全鎮火まで一週間連続放水するなど、当時の消防ポンプとして驚異的な活躍をしております。
大火での活躍が雑誌等で全国に紹介され、ドラマや映画等にも出演しました。
「太郎号」を購入する以前、明治44年6月に「花子号」という姉弟にあたる蒸気ポンプも配備されており、「花子号」は青森県消防学校へ寄贈され、学校内の青森県防災センターに展示されております。
**********
では、当時の五所川原消防団の写真と一緒に掲載してみます。
「五所川原消防団」は下記URLです。
http://www.net.pref.aomori.jp/goshogawara/syobo/syobodanindex.html
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あんみつ姫
変蝠林
居住地: 横浜市 オオクラヤマ
投稿数: 22
大正十年には未だ四歳でしたが十三年頃に静岡市茶町の叔母の処に
預けられて居て之《これ》は良く見ました。
後を手押しポンプが続きました。
燃料が木炭か石炭だったので走る後に赤い焼殻《もえがら》をポタポタと落して行きました。 今のアスファルト道だと大変ですね。
當時はサイレンは無く火事は半鐘《はんしょう》で知らされました。
ジャンジャンジャンと鳴らされるのがスリバンと言って近火の意味
でした。 八百屋お七の頃と変りません。
鎮火するとジャン・・ジャンと間を置いて打たれ安心して家に入ったものです。
余事《よじ=他事》ながら私は地震雷火事が好きで親父は嫌いでした。矢張り変。
預けられて居て之《これ》は良く見ました。
後を手押しポンプが続きました。
燃料が木炭か石炭だったので走る後に赤い焼殻《もえがら》をポタポタと落して行きました。 今のアスファルト道だと大変ですね。
當時はサイレンは無く火事は半鐘《はんしょう》で知らされました。
ジャンジャンジャンと鳴らされるのがスリバンと言って近火の意味
でした。 八百屋お七の頃と変りません。
鎮火するとジャン・・ジャンと間を置いて打たれ安心して家に入ったものです。
余事《よじ=他事》ながら私は地震雷火事が好きで親父は嫌いでした。矢張り変。
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変蝠林
リフレー
居住地: 此岸
投稿数: 20
変蝠林 さん こんにちは ご無沙汰してます
いつも お世話さま でご苦労様です
コメント 有難うございます
矢張り ご存じでしたね!而も《しかも》活動の実態を!幼い時の
記憶は鮮明に残って居ますからね
私の記憶は 河岸でのお披露目《おひろめ》放水で、も一つ印象は
淡いのですが 車体の赤い色と排気音に迫力を感じました
尚 手押しポンプの色は統一されていなかった様でしたね
街の あちこちに半鐘付きの火の見櫓《ひのみやぐら 注》が建って居て火事の
状況で半鐘の打ち方を変えたりして、
現在 都市では 火の見櫓はすっかり見掛けなくなりましたが
懐かしいお話を有難うございました。
リフレー
注 火の見櫓=常時または火災のとき登ってその遠近、または方向を見るやぐら、
そして半鐘で様子を知らせる。
いつも お世話さま でご苦労様です
コメント 有難うございます
矢張り ご存じでしたね!而も《しかも》活動の実態を!幼い時の
記憶は鮮明に残って居ますからね
私の記憶は 河岸でのお披露目《おひろめ》放水で、も一つ印象は
淡いのですが 車体の赤い色と排気音に迫力を感じました
尚 手押しポンプの色は統一されていなかった様でしたね
街の あちこちに半鐘付きの火の見櫓《ひのみやぐら 注》が建って居て火事の
状況で半鐘の打ち方を変えたりして、
現在 都市では 火の見櫓はすっかり見掛けなくなりましたが
懐かしいお話を有難うございました。
リフレー
注 火の見櫓=常時または火災のとき登ってその遠近、または方向を見るやぐら、
そして半鐘で様子を知らせる。