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灯篭流し(とうろうながし)

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かれい

通常 灯篭流し(とうろうながし)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/7/14 13:53
かれい  一人前   投稿数: 137
昭和18,9年から昭和22年頃まで、私は疎開先* の若狭《わかさ》で過ごしました。
まだ就学前でしたので、断片的な記憶はあるものの、戦争の実感はなく、
川と海のきれいだった疎開先の思い出は、楽しく、懐かしいものばかりです。

そんな思い出の一つに、灯篭流し《とうろうながし》があります。
灯篭流しは今も各地で行われているようですが、観光事業化してきていますね。
私が若狭で体験したものは、子供にはお祭りでしたが、大人達にはまだ、法要、
供養《くよう》の性質の強い行事だったと思います。

流す灯篭はどこの家も同じものでしたから、町内で準備されたのでしょう。
舟型の上にに障子紙《しょうじがみ》を紙面に張った四角い枠《わく》があって、その中にロウソクを立
てるようになっていました。
その日は各家で、蓮の葉に乗せたお供えを準備して、日の暮れるのを待ちます。
夕方になったら、みんなはだしで砂浜に出揃います。
暗くなるのを待って、灯篭の中のロウソクに火をつけ、ジャブジャブと海に入って
灯篭とお供えを海に流すのです。灯篭は波に流されて徐々に沖へ向かいます。

風でロウソクが消えてしまうものもありますので、みんな、自分ちのが消えま
せんように、と祈る気持ちでいます。そのうち、どれがどこのだか区別はつか
なくなりますので、ただ、波に漂う《ただよう》灯篭の明かりの群れを静かに見送るのです。

我が家のお供えはナスやキュウリでしたが、家によっては、桃やブドウなども
盛りつけて流されていました。当時は飢餓時代《きがじだい》で、そんな果物は滅多《めった》に家族の
口には入らなかった筈ですが、特別の思い入れで供えられたものでしょう。
もしかしたら、戦死者が出たお家だったのかも知れません
子供たちは、ああ、もったいなーい、と思ってましたけど。

きのう7月13日は千鳥が淵《ちどりがふち=皇居の内堀》で灯篭流しが行われ、大変な人出だったとテレビで報道されていました。千鳥が淵では、ボートから流されるそうですね。尺八の音にのせての、幻想的な世界が演出されているようです。

そういう行事をやっていることを知りませんでしたので、いつ頃からの行事か
問い合わせみましたら、区役所の商工振興課というところに回されました。
昭和33年《1958年》頃からとのことでした。                     かれい

* 第二次世界大戦中、空襲の被害を避けるために人口集中の都市の住民は
地方に移動するように、という命令が出されました。親戚、知人を頼って行く
縁故疎開《えんこそかい》、命令に従っていく強制疎開がありました。

                                    

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