Re: お米と私 (食糧難の始まり)
投稿ツリー
-
お米と私 (食糧難の始まり) (マーチャン, 2004/9/30 7:29)
-
Re: お米と私 (食糧難の始まり) (らごら, 2004/9/30 7:48)
-
Re: お米と私 (食糧難の始まり) (マーチャン, 2004/10/1 7:52)
-
-
らごら
居住地: 横須賀市
投稿数: 46

マーチャンさん
食糧難と云えば、僕は戦前は京城(現ソウル)に住んでいましたが食べることにはあまり不自由はありませんでした。
ところが戦後内地に引き揚げてきてからが大変な食糧難を経験しました。
昭和20年から25年頃でしたか、まさに食うや食わずの生活。
毎日の三度の食事の度に、三人兄弟がお膳《ぜん》に座ってからする事は、ドンブリに盛られた御飯の量を見比べることでした。
僕《ぼく》だけは長男と云うことで大きなドンブリでしたが、それでも弟達のドンブリとの盛り具合を確かめていました。あの頃の母の苦労は大変だったと思います。
あの頃に刷り込まれたのでしょうか、今でもお膳の前に座ると、盛られた御飯やおかずの盛り具合を無意識に比べています。
何杯でもお代わりできるのにね・・・
食糧難と云えば、僕は戦前は京城(現ソウル)に住んでいましたが食べることにはあまり不自由はありませんでした。
ところが戦後内地に引き揚げてきてからが大変な食糧難を経験しました。
昭和20年から25年頃でしたか、まさに食うや食わずの生活。
毎日の三度の食事の度に、三人兄弟がお膳《ぜん》に座ってからする事は、ドンブリに盛られた御飯の量を見比べることでした。
僕《ぼく》だけは長男と云うことで大きなドンブリでしたが、それでも弟達のドンブリとの盛り具合を確かめていました。あの頃の母の苦労は大変だったと思います。
あの頃に刷り込まれたのでしょうか、今でもお膳の前に座ると、盛られた御飯やおかずの盛り具合を無意識に比べています。
何杯でもお代わりできるのにね・・・