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お米と私 (食糧難の始まり)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/9/30 7:29
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
 昭和17-18年頃でしょうか。
 昭和16年に、すでに、お米の配給になっていましたが、まだ、各家庭では、子供までが食糧難を実感するところまで来ていませんでした。

 ある日、どこかの会社の独身寮へ連れて行かれたのです。
 そこの炊事場での光景がいまだに忘れられません。
 オバサンが、どんぶりに、ご飯を盛ったものを、一つ一つ、秤《はかり》にかけているのです。
 周囲にいた寮生たちは、その秤の目盛りを真剣な目つきで見ていました。
 その目つきから、子供ながら「ああ、いよいよ、食糧難になったのだな」と実感しました。
 


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/9/30 7:48
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
マーチャンさん

 食糧難と云えば、僕は戦前は京城(現ソウル)に住んでいましたが食べることにはあまり不自由はありませんでした。
ところが戦後内地に引き揚げてきてからが大変な食糧難を経験しました。
昭和20年から25年頃でしたか、まさに食うや食わずの生活。
毎日の三度の食事の度に、三人兄弟がお膳《ぜん》に座ってからする事は、ドンブリに盛られた御飯の量を見比べることでした。
《ぼく》だけは長男と云うことで大きなドンブリでしたが、それでも弟達のドンブリとの盛り具合を確かめていました。あの頃の母の苦労は大変だったと思います。
あの頃に刷り込まれたのでしょうか、今でもお膳の前に座ると、盛られた御飯やおかずの盛り具合を無意識に比べています。
何杯でもお代わりできるのにね・・・
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/10/1 7:52
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
らごらさん

引用:
あの頃に刷り込まれたのでしょうか、今でもお膳の前に座ると、盛られた御飯やおかずの盛り具合を無意識に比べています。

 そのお気持ち、よく分かります。
 私の場合、現在「盛り付ける人」ですので、盛り具合をチェックすることはありませんが、

 ・外食の際も、ご飯だけは残せない

 ・たとえ、コンビニ弁当であっても、容器にくっついている「ご飯粒」はすべて食べる

 という習慣から抜け出せません。
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