Re: B29と竹槍と火叩き
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B29と竹槍と火叩き (Pan, 2005/1/25 14:50)
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Re: B29と竹槍と火叩き (かれい, 2005/1/27 13:48)
- Re: B29と竹槍と火叩き (Pan, 2005/1/29 1:02)
- Re: B29と竹槍と火叩き (安房守, 2005/2/1 19:41)
- Re: B29と竹槍と火叩き (記録人, 2006/3/2 1:13)
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Re: B29と竹槍と火叩き (かれい, 2005/1/27 13:48)
安房守
投稿数: 5
私の疎開先の小学校の運動場に、或る日、お母さん達が集まりました。
ラジオ体操のような形に縦横に並び、皆さん鉢巻をして竹槍を構えました。
中央の壇上、壇の高さは3尺《約1メートル》も有ったでしょうか、
その壇上の立派な髭《ひげ》を蓄えた退役軍人?さんが号令をかけると、
お母さん達は、「エイッ、ヤー」と前後左右に突き進みます。
子供心に、一糸乱れぬ雄姿、と記憶しております。
私の疎開先は房州の南端、当時、米軍の上陸地の候補地であり、肉弾戦への備えだったのでしょう。
村には沢山の兵隊さんが駐屯《ちゅうとん=軍隊が留まること》しており、毎日毎日、陣地作りや、
彼方此方《あちこち》の山々に洞穴を掘っていました。
終戦後、直ぐ米軍がやってきて主要な陣地を爆破していました。
後年、その洞穴の幾つかを悪童達と探検しましたが、既に隣部落へ抜けてるもの、双方から一直線
に向き合い貫通直前のもの、入れ口を少し入ると180度ぐるりと戻って、銃座《じゅうざ=銃を据え付
ける台》があり入れ口付近を狙《ねら》える子穴が開いていたり、様々でした。
幸いにも、お母さん達が竹槍を使うことはありませんでしたが、
竹槍連隊を指揮指導した立派な髭の退役軍人?さんは、その後、再召集され戦死されました。
その退役軍人?さんは私の同級生のお父さんでした。
戦後、その同級生宅に遊びに行った時の、必死に生活する彼のお母さんの目付きは忘れられません。
ラジオ体操のような形に縦横に並び、皆さん鉢巻をして竹槍を構えました。
中央の壇上、壇の高さは3尺《約1メートル》も有ったでしょうか、
その壇上の立派な髭《ひげ》を蓄えた退役軍人?さんが号令をかけると、
お母さん達は、「エイッ、ヤー」と前後左右に突き進みます。
子供心に、一糸乱れぬ雄姿、と記憶しております。
私の疎開先は房州の南端、当時、米軍の上陸地の候補地であり、肉弾戦への備えだったのでしょう。
村には沢山の兵隊さんが駐屯《ちゅうとん=軍隊が留まること》しており、毎日毎日、陣地作りや、
彼方此方《あちこち》の山々に洞穴を掘っていました。
終戦後、直ぐ米軍がやってきて主要な陣地を爆破していました。
後年、その洞穴の幾つかを悪童達と探検しましたが、既に隣部落へ抜けてるもの、双方から一直線
に向き合い貫通直前のもの、入れ口を少し入ると180度ぐるりと戻って、銃座《じゅうざ=銃を据え付
ける台》があり入れ口付近を狙《ねら》える子穴が開いていたり、様々でした。
幸いにも、お母さん達が竹槍を使うことはありませんでしたが、
竹槍連隊を指揮指導した立派な髭の退役軍人?さんは、その後、再召集され戦死されました。
その退役軍人?さんは私の同級生のお父さんでした。
戦後、その同級生宅に遊びに行った時の、必死に生活する彼のお母さんの目付きは忘れられません。