@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

Re: B29と竹槍と火叩き

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

安房守

通常 Re: B29と竹槍と火叩き

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/2/1 19:41
安房守  新米   投稿数: 5
私の疎開先の小学校の運動場に、或る日、お母さん達が集まりました。
ラジオ体操のような形に縦横に並び、皆さん鉢巻をして竹槍を構えました。
中央の壇上、壇の高さは3尺《約1メートル》も有ったでしょうか、
その壇上の立派な髭《ひげ》を蓄えた退役軍人?さんが号令をかけると、
お母さん達は、「エイッ、ヤー」と前後左右に突き進みます。
子供心に、一糸乱れぬ雄姿、と記憶しております。

私の疎開先は房州の南端、当時、米軍の上陸地の候補地であり、肉弾戦への備えだったのでしょう。

村には沢山の兵隊さんが駐屯《ちゅうとん=軍隊が留まること》しており、毎日毎日、陣地作りや、
彼方此方《あちこち》の山々に洞穴を掘っていました。

終戦後、直ぐ米軍がやってきて主要な陣地を爆破していました。
後年、その洞穴の幾つかを悪童達と探検しましたが、既に隣部落へ抜けてるもの、双方から一直線
に向き合い貫通直前のもの、入れ口を少し入ると180度ぐるりと戻って、銃座《じゅうざ=銃を据え付
ける台》
があり入れ口付近を狙《ねら》える子穴が開いていたり、様々でした。

幸いにも、お母さん達が竹槍を使うことはありませんでしたが、
竹槍連隊を指揮指導した立派な髭の退役軍人?さんは、その後、再召集され戦死されました。

その退役軍人?さんは私の同級生のお父さんでした。
戦後、その同級生宅に遊びに行った時の、必死に生活する彼のお母さんの目付きは忘れられません。


  条件検索へ