四国の田舎での生活2
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四国の田舎での生活 (Kiyo, 2005/5/1 0:47)
- 四国の田舎での生活2 (Kiyo, 2005/5/12 1:08)
- 四国の田舎での生活3-京城へ (Kiyo, 2005/6/21 11:38)
Kiyo
投稿数: 6
引き続き息子に代理投稿をお願いしました。
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父は明治25年(1992)生まれで、私の生まれ住んだ町より西にあり大変綺麗《きれい》な海岸沿いでした。このような田舎から、当時としては珍しく東京の大学に行きました。
東京に就職も決まりかけていたのに、呼び戻され、母の実家(庄屋《しょうや=村落の長》)に婿養子として入ったのでした。当時としては珍しい蓄音機を買ってきたのも、文化の先端の東京にいたことと無関係でないのかもしれません。また自転車の練習をしていたことを思い出しました。しかし、自転車の思い出がそれほどないのは、やはり余り使いこなせていなかったのかもしれません。
当時、父は役場務めをしていました。一方、家は祖父の代より果園をやっていて、人(男衆《おとこし=男の従業員》女子衆《おなごし=女の従業員》)使ってやっていました。裏山に、梨、桃、みかんなど色々あり大阪方面へ出荷していました。
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父は明治25年(1992)生まれで、私の生まれ住んだ町より西にあり大変綺麗《きれい》な海岸沿いでした。このような田舎から、当時としては珍しく東京の大学に行きました。
東京に就職も決まりかけていたのに、呼び戻され、母の実家(庄屋《しょうや=村落の長》)に婿養子として入ったのでした。当時としては珍しい蓄音機を買ってきたのも、文化の先端の東京にいたことと無関係でないのかもしれません。また自転車の練習をしていたことを思い出しました。しかし、自転車の思い出がそれほどないのは、やはり余り使いこなせていなかったのかもしれません。
当時、父は役場務めをしていました。一方、家は祖父の代より果園をやっていて、人(男衆《おとこし=男の従業員》女子衆《おなごし=女の従業員》)使ってやっていました。裏山に、梨、桃、みかんなど色々あり大阪方面へ出荷していました。