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四国の田舎での生活

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/5/1 0:47
Kiyo  新米   投稿数: 6
 
もはや自分の力で文章をまとめる力がないので息子に聞き取りとまとめを頼みました。又文章をアップすることもできないので代わりにアップしてもらいました。もはや記憶も確かではなくて,3度聞きただされこともあり、記憶違いや混乱もあるかもしれません。

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私が生まれたのは大正8年(1919)で、愛媛県の南部、もう高知県に近い田舎です。御荘町といいましたが最近の合併(平成16年10月)で南宇和郡愛南町と変わってしまいました。大正の終わりから昭和の始め頃の子供時代のことを記しておきたいと思います。

地方でも裕福な方で恵まれていたと思いますが、東京のような都会とは違った環境にあったかもしれません。女の子でもお転婆《おてんば》の方でしたから、池で泳いだり木に登って遊んだり、当時としては変わっていたかもしれません。

子供の頃(小学生の頃)、当時はまだラジオはありませんでした。新聞はあったと思うのですが読んだ記憶がさだかではありません。父親が蓄音機《ちくおんき=レコードプレイヤー》を買って来てくれたのが印象に残っています。当時は珍しいものでした。

バスはなかったと思います。車もさだかでなく、あったとしても一般的ではなかったのでしょう。父親が遠くから帰って来る時は人力車《じんりきしゃ=人を乗せて車夫が引く2輪車》を使っていました。自転車もまだそれほど普及していなかったと思います。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/5/12 1:08
Kiyo  新米   投稿数: 6
引き続き息子に代理投稿をお願いしました。

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父は明治25年(1992)生まれで、私の生まれ住んだ町より西にあり大変綺麗《きれい》な海岸沿いでした。このような田舎から、当時としては珍しく東京の大学に行きました。

東京に就職も決まりかけていたのに、呼び戻され、母の実家(庄屋《しょうや=村落の長》)に婿養子として入ったのでした。当時としては珍しい蓄音機を買ってきたのも、文化の先端の東京にいたことと無関係でないのかもしれません。また自転車の練習をしていたことを思い出しました。しかし、自転車の思い出がそれほどないのは、やはり余り使いこなせていなかったのかもしれません。

当時、父は役場務めをしていました。一方、家は祖父の代より果園をやっていて、人(男衆《おとこし=男の従業員》女子衆《おなごし=女の従業員》)使ってやっていました。裏山に、梨、桃、みかんなど色々あり大阪方面へ出荷していました。




前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/21 11:38
Kiyo  新米   投稿数: 6
尋常小学校を出て近くの高等小学校(2年制)に進学しました。女学校に行きたかったが、それは遠くの宇和島にあり、父母が許すべくもありませんでした。その後は実科女学校《=生活に役立つ裁縫を主教科とした》に行く予定でした。

ところが、京城(=けいじょう、今のソウル)で事業をやっていた叔父さん(父方か母方か覚えていません)から手伝いに来てくれとの話がきました。東京にまで行き夢を持ち続けていた父は、新天地を求めて急遽《きゅうきょ=取り急ぎ》一人で京城に向かいました。

そして、昭和6年(1933年)、ついに家族皆で朝鮮京城(=けいじょう、今のソウル)に渡ることになったのです。私が14歳の時でした。妹二人弟一人と一緒でした。

(息子に投稿を依頼)
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