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亡母の女学生生活(3)

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マーチャン

通常 亡母の女学生生活(3)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/5/25 8:23
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
亡母の女学生生活(3)

 母が、繰り返し語ってくれたのは「修学旅行」に関することでした。
 よほど、印象に残っていたらしく、細かいことまでよく記憶していました。

 大正時代の、地方の女学生にとって「修学旅行」は大変な行事でした。
 女性は「物見遊山《ものみゆさん=観光の旅》旅行」のたぐいは一生できなかった時代でしたから。

 兵庫県北部の学校ですから行き先は、毎年「京阪神と伊勢」に決まっていたそうです。
 ところが、その年に限って「出雲大社方面」を強く推薦された先生があったーーー
 「みなさんは、いずれ京阪神へ行く機会はあります。でも、島根・山口方面なんて多分一生いけませんよ」と。
 でも、このご意見はとり上げられず、例年通り「京阪神」に決まったよし。

 母は、伊勢神宮については「参拝当日、大雨で草履《ぞうり》も足袋《たび》もびちょびちょになり難儀した」こと、京都御所の紫宸殿《ししんでん=御所の正殿。即位などに使用》については「なんだか、だだっぴろいところ」程度の印象しか持っていなかったようでした。

 印象に残っていたのは、大阪で、百貨店へいったこと。
 ーーー実は、前夜宿泊した旅館で用意したお弁当が悪くなっていたーーーそのため、急遽、先生方が協議し、直ちにそのお弁当を捨てるように指示した。そして昼食を百貨店の食堂でとることにした。一番安いウドンのたぐいだったそうですが、生徒たちは「都会のデパートで食事をする体験」ができて、かえって喜んでいたそうです。

 でも、一番印象が深かったのは、神戸だったようです。
 県庁所在地であり、港町である神戸は、大正の女学生のあこがれの街だったのです。
 なかでも、オリエンタル・ホテルを見学する機会に恵まれ、バンド演奏に接したことが一番の思い出だったとたびたび話していました。

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