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食糧難時代 (3) (不虻) その1

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通常 食糧難時代 (3) (不虻) その1

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/4/2 8:03
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
 はじめに  メロウ伝承館スタッフより

 インターネットが一般家庭にまで普及したのは20世紀末で、それ以前は、パソコン通信による交流が行われており、このメロウ倶楽部の出身母体もニフティーサーブの運営していたパソコン通信「ニフティーサーブ」の高齢者向けフォーラムの「メロウフォーラム」です。

 この投稿は、その当時、パソコン通信上に掲載されたもので、投稿者のご了承を得て転載させていただいているものです。 
 当時、「メロウフォーラム」では、テーマを設けて「臨時会議室」を開設し共通のテーマで戦中・戦後の記憶などを語り合ったもので、この投稿も、その臨時会議室の一つである「食糧難時代」の一部分です。

 ・ タイトル脇の数字は、投稿日時を示しています。

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 米の配給制実施 97/07/20 11:45

 ちょっと捜し物があって、昨年の受信ログを見ていたら、丁度昨年の今頃、私もこの追憶博物館で「小・中学時代の思い出」を盛んにアップしていました。そんなことから思いついて、今回のテーマでも2,3書かせて戴きたくなりました。

 戦前と言っても既に日本は昭和12年から日中戦争に突入していましたが、次第に物資が不足しだしました。それで一部の生活必需品の配給制は13年3月から実施され始めましたが、本当に食糧難を実感させたのは、16年4月からの「米穀配給通帳」による米の家庭配給制度が実施されてからです。当時の日本人は平均して1人1日5合以上の米を食していましたが、配給では平均して1人2合3勺になってしまったのです。

 府県によって多少違いはあったようですが、東京府では配給は甲、乙、丙の3種に分かれ、甲は学生やサラリーマンなどの一般人で330㌘(2.3合)(しかし61才以上の老人は300㌘)、乙は普通増量を受ける労働者で男女に分かれますが、350㌘(2.7合)、丙は特別な増量を受ける労働者で男570㌘(4合)女420㌘(2.9合)と言うような調子でした。
 日本人の食糧難、空腹感はこのときから始まったと言って良いでしょう。

 私は、16年4月に大学へ入り、九段の靖国神社の裏のMさんの家に下宿しましたが、幸いなことにMさんは直ぐ近くの電車通りの向こう側で食堂を経営しており、下宿人は3食ともその食堂へ食事に行っていました。その食堂は下宿人に限り、こっそり米を乙並みに盛ってくれました。

 嫌な時代でしたね。煙草も「お一人様、一函《ひとはこ》限り」といって、空箱引き替えに一函しか買えませんでした。子供用のドロップやキャラメルやお菓子が配給制になったのもこの頃です。臨戦食糧増産協議会という機関が、桑の残り葉、大根葉、甘藷の蔓《=さつまいものつる》、蚕蛹《さんよう=蚕のさなぎ》、鰯《いわし》などの食料化を推奨したりしていました。蛹は何人かの方が書いておられましたが、食料にするのは、一度油を搾《しぼ》ってから滓《かす》を食べるのでした。

 終戦の頃には、日本人が餓死寸前にまで追いつめられていたのは確かです。
 長々と書いてしまい、ごめんなさい。

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編集者 (代理投稿)

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