Re: 成瀬孫仁日記(五)昭和十六年十二月
投稿ツリー
-
成瀬孫仁日記(五)昭和十六年十二月 (あんみつ姫, 2008/11/5 21:36)
-
Re: 成瀬孫仁日記(五)昭和十六年十二月 (あんみつ姫, 2008/11/5 21:45)
- Re: 成瀬孫仁日記(五)昭和十六年十二月 (あんみつ姫, 2008/11/5 21:51)
-
Re: 成瀬孫仁日記(五)昭和十六年十二月 (あんみつ姫, 2008/11/5 21:45)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 485
十二月十一日(木)
二学期最後の授業日。“講堂で院長の勅語《注1》奉読式あり。独逸、伊太利の対米宣戦布告あり。ヒットラーの肉馨をラジオで始めて聞く。間延びしたような重厚なロシヤ語と異り、簡素で、戦闘的なヒットラーのドイツ語も意味が解らなければ意味がない。
白井教授の歴史の試験あり。教務課の大類さんが内地から帰って来られた。
中根先生も昨日内地へ帰られた。先生の家へは川辺が留守番に入る。協和会の方がはるかに面白かっただろうに何で学校へなんか帰って来られたのか。
先生のシェーバを着、ソフト帽を頭に川辺と交互にポプラを背景に写真をとる。
十二月十二日(金) 雪 暖 零下十三度
試験第一日日。
寒いと思っていると雪となる。一面銀世界。長く雪景色を見なかったような気がする。
ラジオは今回の対米英戦を「大東亜戦争」(2)と呼ぶと報じた。
十二月十三日(土) 雪 寒 零下二十五度
さすがに、零下二十五度ともなると寒さがこたえる。学校へ行くのも嫌になる。
午後、街に出て内地へ送るものを揃える。ウイスキーチョコレート、ノート、クリスマスカード、それにサッカリンのでかい塊を満人の薬店で買う。
皇軍、九龍占領。香港は落ちたも同然。感謝せよ将兵に!!
十二月十四日(日) 晴 暖
暖い日、米内先生の家に引越す。蒲団だけ持って行けばそれでワンラ。
林孝道の壮行会
十二月十五日(月) 晴 暖
試験終る。林孝道君の送別会はお流れになる。久しぶりに入浴、垢を落としてニューハルビンで夕食、森三郎先生、高橋おじいちゃんと一緒、語り且つ喰う。精進落しのつもり。
十二月十六日(火) 晴 暖
朝寝して、朝食間に合わず、朝礼に出る。例によって例の如く院長の長話に参る。
式後、哈爾浜神社に参拝、来年二月に入営する林孝道君の壮行会を催す。寒い中、元気に意気軒昂たり。
後、藤森さん(3)に会い昼食を共にする。藤森さんその日入営のため離哈《注2》。
三年生は軍委託学生の離散会あり。
十二月十七日(水) 晴 寒
朝二階の家の奥さんが来られ、家の中を見せて呉れといきなり言われた。何の事だか解らず、家の中にあげると、「案外きれいですね」とか「蒲団は毎日上げるものですよ」とか言いつつ家の内を一巡して帰って行った。後で考えた。「はは、これは米内先生が監視かたがた時々見るように」と頼んでいたのだなと。
昼食、清水裕久さん(4)とマルスのケーキ、中央飯店のロシヤ料理、最近、昼食は当りが良い。
一年生山本正則君、哈爾浜を発って帰省。
十二月十九日(金) 晴 暖
朝、川辺に扉をドンドンたたかれて起され一緒に登校。過日写した写真の現象を川辺がするのを手伝う。僕のは明瞭に出ていたが、川辺のはピンボケだ。川辺はブツブツ言って不服そうだった。さもあらん川辺のは私が写し、私のは川辺が写したのだから。
午後、川辺と竹内教授宅へ、マルスで紅茶とケーキ。先生が支払いに百円札出したのにはびっくり。
独ソ戦争独講和説流れる。何とも不自然な感あり。
十二月二十日(土) 晴 暖
昨夜三時頃まで「光と影」を読む。散髪をし、池田に寄り、本屋を廻って帰る。
明日は入学試験があるらしい。満鉄マンが三人ばかり来ていた。
清水裕久さん黒河《注3》へ帰って行った。
独ソ単独講和の噂も流言。
香港が英人の手に落ちてから百年目、今新しい大東亜の人々の手に帰ろうとしている。
(2)十二月十二日。対米英戦の情報局発表
(3)十二月十六日。十九期藤森千史さん。
(4)十二月十七日。二十期生。
注1:天皇が発せられた文書
注2:ハルピンを離れる
注3:黒龍江省の地級都市の一つ
二学期最後の授業日。“講堂で院長の勅語《注1》奉読式あり。独逸、伊太利の対米宣戦布告あり。ヒットラーの肉馨をラジオで始めて聞く。間延びしたような重厚なロシヤ語と異り、簡素で、戦闘的なヒットラーのドイツ語も意味が解らなければ意味がない。
白井教授の歴史の試験あり。教務課の大類さんが内地から帰って来られた。
中根先生も昨日内地へ帰られた。先生の家へは川辺が留守番に入る。協和会の方がはるかに面白かっただろうに何で学校へなんか帰って来られたのか。
先生のシェーバを着、ソフト帽を頭に川辺と交互にポプラを背景に写真をとる。
十二月十二日(金) 雪 暖 零下十三度
試験第一日日。
寒いと思っていると雪となる。一面銀世界。長く雪景色を見なかったような気がする。
ラジオは今回の対米英戦を「大東亜戦争」(2)と呼ぶと報じた。
十二月十三日(土) 雪 寒 零下二十五度
さすがに、零下二十五度ともなると寒さがこたえる。学校へ行くのも嫌になる。
午後、街に出て内地へ送るものを揃える。ウイスキーチョコレート、ノート、クリスマスカード、それにサッカリンのでかい塊を満人の薬店で買う。
皇軍、九龍占領。香港は落ちたも同然。感謝せよ将兵に!!
十二月十四日(日) 晴 暖
暖い日、米内先生の家に引越す。蒲団だけ持って行けばそれでワンラ。
林孝道の壮行会
十二月十五日(月) 晴 暖
試験終る。林孝道君の送別会はお流れになる。久しぶりに入浴、垢を落としてニューハルビンで夕食、森三郎先生、高橋おじいちゃんと一緒、語り且つ喰う。精進落しのつもり。
十二月十六日(火) 晴 暖
朝寝して、朝食間に合わず、朝礼に出る。例によって例の如く院長の長話に参る。
式後、哈爾浜神社に参拝、来年二月に入営する林孝道君の壮行会を催す。寒い中、元気に意気軒昂たり。
後、藤森さん(3)に会い昼食を共にする。藤森さんその日入営のため離哈《注2》。
三年生は軍委託学生の離散会あり。
十二月十七日(水) 晴 寒
朝二階の家の奥さんが来られ、家の中を見せて呉れといきなり言われた。何の事だか解らず、家の中にあげると、「案外きれいですね」とか「蒲団は毎日上げるものですよ」とか言いつつ家の内を一巡して帰って行った。後で考えた。「はは、これは米内先生が監視かたがた時々見るように」と頼んでいたのだなと。
昼食、清水裕久さん(4)とマルスのケーキ、中央飯店のロシヤ料理、最近、昼食は当りが良い。
一年生山本正則君、哈爾浜を発って帰省。
十二月十九日(金) 晴 暖
朝、川辺に扉をドンドンたたかれて起され一緒に登校。過日写した写真の現象を川辺がするのを手伝う。僕のは明瞭に出ていたが、川辺のはピンボケだ。川辺はブツブツ言って不服そうだった。さもあらん川辺のは私が写し、私のは川辺が写したのだから。
午後、川辺と竹内教授宅へ、マルスで紅茶とケーキ。先生が支払いに百円札出したのにはびっくり。
独ソ戦争独講和説流れる。何とも不自然な感あり。
十二月二十日(土) 晴 暖
昨夜三時頃まで「光と影」を読む。散髪をし、池田に寄り、本屋を廻って帰る。
明日は入学試験があるらしい。満鉄マンが三人ばかり来ていた。
清水裕久さん黒河《注3》へ帰って行った。
独ソ単独講和の噂も流言。
香港が英人の手に落ちてから百年目、今新しい大東亜の人々の手に帰ろうとしている。
(2)十二月十二日。対米英戦の情報局発表
(3)十二月十六日。十九期藤森千史さん。
(4)十二月十七日。二十期生。
注1:天皇が発せられた文書
注2:ハルピンを離れる
注3:黒龍江省の地級都市の一つ
--
あんみつ姫