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轟沈一太平洋戦争の体験談- 鹿島 博 その2

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通常 轟沈一太平洋戦争の体験談- 鹿島 博 その2

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/12/30 8:40
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 生存者は私を含めて、百名足らずだった。幸運にも、その引き返す駆逐艦に助けられてパラオへ生きて帰ることができた。不運にももう一隻の船と特殊駆潜艇は、その日の夕方、敵の機動部隊に襲われて全滅してしまった。

 話は飛ぶが、私達は三月十五日、大勢の遭難船員、従軍看護婦、兵隊や引揚邦人達と宇品港へ帰ることができた。入港と同時に検疫があり、その後解散式だ。
 大地を踏んだ安堵の喜びは束の間、私の名前が遭難者名簿に無い。脱走兵として調べられた。解散式が終わる頃、やっと放免になった。

 こんな訳で、私に支給する物品はないらしい。結局、パラオで支給された、今着ている着古した陸軍の軍服と、五百円の遭難手当及び衣料切符だけで、帰路に着いた。

 船舶司令部の門を出て、やっと晴ればれした気持ちになった。広島駅まで電車に乗った。乗客達はみんな清楚な服装だが、緊急の場合、すぐ対応できる姿だ。私とみれば、着古した兵隊用の外套だ。襟や袖口は擦り切れて、毛はなく変色している。幸いその下に着ている半袖の上衣や半ズボンの防暑服は外から見えないが、膝から下の脛は丸出しだ。履いている地下足袋はこはぜのあたりが綻びていてはまらない。我ながら恥ずかしくなった。

 駅近辺の店へ立ち寄ったが、衣料切符があっても、タオル一本買えない。仕方なくそのままの姿で汽車に乗った。遭難手当があるので、懐中はホクホクだ。生還の喜びも手伝って、二等車に乗ったら、車掌に「三等へ行け」と言われて怒髪天をついた。

 実習状況報告のため、目黒の学校へ行ったら、教官が私を見て「なんだ、その格好」となじるような目付きだったが、理由が分かったらあきれていた。

 故郷の新発田へ着いた時、道の両側にはまだ高く雪が残っていた。これから母の泣き面を見なければならないのかと思いながら、玄関の戸を開けた。

 昭和十八年五月二十七日海軍記念日に、海軍省、文部省、逓信省、厚生省、情報局の後援で、関東の大学・高専の『水上練兵大会』が隅田川・言問橋附近の艇庫であった。各校の応援合戦は猛烈なものだった。大会の華はカッター競技で、本校は惜しくも二位だった。泣きながら悔し紛れに川へ飛び込んだ。二枚の写真はその時のものである。

         (平成十九年二月一日 記)


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