「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 1 お姉ちゃんがお婿さんを
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- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 41 もちつき (編集者, 2016/4/25 7:58)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 42 足の裏は象の足のよう (編集者, 2016/4/26 6:53)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 43 天井はネズミの運動場 (編集者, 2016/4/27 7:54)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 44 富山の薬売りが来た (編集者, 2016/4/28 6:56)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 45 行水 (編集者, 2016/4/29 8:08)
- 「描き残したい昭和(新見 睦)」から 家庭 46 お産婆さんと妹の出生 (編集者, 2016/4/30 6:48)
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もちつき 1947年
日本の伝統を平成の今も継いでいる福田さん。いいですねえ。拍手喝采です。描き残したい昭和の記憶にだぶらせて描きました。「お餅つき」平成27年(2015年)昭和22年(1947年)年末はあちこちの家でぺったんぺったん。餅つきの音が響きます。正月が来るなあと思わせる年末の光景でした。一家総出の作業で、お母さんは臼の中の餅を手でひっくり返す。お父さんは杵を振り下ろす。そのとき杵がお母さんお手に当たらないかとハラハラ心配して見ていました。鳥取の福田光明さん宅は平成の今もこうしてお餅つきをしています。この懐かしい日本の伝統はいつまでも続いて欲しいです。
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「足の裏はゾウの足のようだった」 1953年
下駄やゴム草履をはいていた。駆け出すときははだし。履き物は邪魔なのだ。足の裏はカチカチの硬い皮になっていた。砂利道でも石ころの川原でも痛くなかった。お風呂屋さんに行くときは軽石を持っていって、足裏の角質を削り取った。
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「天井はネズミの運動場」 1947年
昭和22年(1947年) 天井のふし穴から下を覗き込むネズミ。寝静まったとみるや運動会を始める。「バタバタ」「チューチュー」。安眠は妨げられたが毎日のこと。だんだん気にならなくなる。台所でもガサガサ音が。芋やニンジンを狙って寄ってきている。翌日芋を見るとネズミのかじった歯跡がある。戦後物のない時期。勿体ないから捨てないで歯跡の部分をこそいで食べた。どこの家でもネズミには閉口した。人の住むところ寄り添ってくるネズミ。人とネズミが共生する生活は仕方がなかった。
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富山の薬売りが来た 1953年
描き残したい昭和「富山の薬売りが来た」
昭和28年(1953年) 江戸時代、高山藩第二代藩主前田正甫は薬の研究を奨励しました。富山といえば薬。配置販売の元祖、「富山の薬売り」です。半年ごとに家々を巡回してきました。いろいろな種類の薬を紙袋に入れて預けておくのです。この薬は結構重宝しました。急な発熱や腹痛にすぐに使えたのです。大きなかごを背負ってやってきて縁側に腰を下ろして荷をほどき、薬の説明をしてくれます。預けた薬袋の中身を点検して使った薬の代金を支払いました。使った分は新しいもので補充してくれました。世間話もして「はい、ではまた半年」。薬売りといえば宮城まり子の越後の毒消しの歌、「どっけしゃいらんかね」も思い出します。
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行水 1953年
行水がありますよというお声をかけていただいて描いてみましたがさて。やんちゃな弟が水でっぽうで姉に水を掛けたり。
描き残したい昭和「行水と水鉄砲」昭和28年(1953年)夏になるとどこの家もよく行水をした。たらいに水を張って太陽光で温める。洗面器やバケツも総動員で湯にした。行水の習慣は古くからあるらしく宇治拾遺物語にも出てくる。
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お産婆さんと妹の出生 1944年
「描き残したい昭和」戦争のさなか、隣りの八畳間ではお産婆さんが来て、母は出産に備えていた。ふすまを隔ててこちらの六畳間には私たちがいた。お手伝いのおばさんが、たらいにお湯を張って待っていた。兄弟たちはただならない雰囲気を感じて、父親と息を凝らしている。やがて元気な産声が聞こえ赤ちゃんが生まれた。みんなはふすまを開けて熱気あふれた八畳間に駆け込んだ。おばさんはたらいの湯に生まれたばかりの赤ちゃんを浸してガーゼで洗った。戦時中のため粉ミルクはなかった。
母乳も出ない。それで妹妙子は初めからご飯をすりつぶして与えたという。今も妹は胃腸が丈夫だ。やがて戦火は本土に及び一家は市川を脱出し福島へ疎開した。