@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

戦死公報 (伸) <英訳あり>

  • このフォーラムに新しいトピックを立てることはできません
  • このフォーラムではゲスト投稿が禁止されています

投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2006/6/22 13:17
大村  新米   投稿数: 4
あんみつ姫様

ありがとうございます。
我々軍事郵便保存会は有志で活動しておりますが、戦争の生き証人たる当時の軍事郵便が、現代ではゴミとして捨てられていることに鑑み《かんがみ》、これらを収集・研究・展示する活動を続けています。
大東亜戦争における軍事郵便は機密保持《=政治軍事上最も大切な秘密の事柄をたもつ》の関係で、差し出し部隊の名称や場所が暗号化されている場合がほとんどです。しかし掲示板にあったようにアドレスがわかれば、ある程度のことは調べられます。
ご遺族にしてみれば、その手紙がいつ、どこから出されたのかは、非常に大きな意味合いを持つことと思います。
大村
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/6/30 17:20
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
大村さま

早速お返事を頂きながら、レスが遅くて申し訳ありませんでした。

引用:
我々軍事郵便保存会は有志で活動しておりますが、戦争の生き証人たる当時の軍事郵便が、現代ではゴミとして捨てられていることに鑑み、これらを収集・研究・展示する活動を続けています。

軍事郵便には内地に居る家族から戦地の家族に宛て、書かれた、或いは
その反対で届けられた郵便物も入るのでしょうか。

受け取った本人が既に亡くなってしまっている場合などには、やはり
捨てられる運命なのでしょうね。

でも、そのような私信を収集するというのは、とても大変な作業で
ご本人や遺族の承諾がないと出来ませんよね。

或いは、受取人不明で国庫で預かっているようなものがあるのでしょうか?

伸さんの場合のように、戦死公報《=官庁からだされた戦死の知らせ》なども遺族に手渡されたものは今回の
ような事がない限り、残せないでしょうね。

引用:
ご遺族にしてみれば、その手紙がいつ、どこから出されたのかは、非常に大きな意味合いを持つことと思います。

なるほど、戦死公報には何処でどのようにして亡くなった等という
詳しい記述が無いままに、無念の思いでいらっしゃるご遺族も多い
のでしょうね。

これからもご活躍をお祈りしています。

--
あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/1 14:41
  新米   投稿数: 10
大村様、この度は亡兄のことでお忙しい中をコメントを頂き有り難うございました。兄は整備兵でしたから、多分851空か954空という基地で、はじめの間は水上機の整備に当たっていたのではないかと推察します。少しでも比島における兄の消息が分かりまして、嬉しく存じます。私はすでに80才、戦没死ました兄は一番上で、いま生きていましたら90才を超えている思います。戦後も早や60年、我が家も兄を知っているものは私のみとなり、寂しい限りですが、生きている限り兄の供養《くよう》を続けて行きたいと思っています。この度は本当に有り難うございました。 今後とも 宜しくお願いします。
                           
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/5 23:34
大村  新米   投稿数: 4
あんみつ姫様
 戦地からのも、戦地宛てのも軍事郵便と呼びますが、戦地宛てのは持ち帰らないと残らないので、あまり残っておりません。ただ米軍は日本軍調査のために手帳や手紙を戦死者などから押収《おうしゅう》したので、そういったものは割に残っています。
 戦死された方から届いた軍事郵便は、伸様のように形見としてご遺族が保管されている場合が多いですが、時代が過ぎたり、ご遺族の方が亡くなられたりすると、処分されてしまうケースが多いようです。
 こうした軍事郵便は古道具などと一緒に古物商《こぶつしょう》を通じて市場に流れます。我々はそれらを収集していますが、ご遺族の方から寄贈していただく場合もあります。国が預かるようなことはありません。

伸様
 多少はお役に立てたようで嬉しく思います。現代人はあまり知らないと思いますが、戦後、日本人が神のようにあがめたマッカーサーが、「アイシャルリターン」の合い言葉の下、戦争に勝つことよりも、第2の故郷であるフィリピンの奪回《だっかい》に執念《しゅうねん》を燃やし、自分のメンツのためにあらゆる島を掃討《そうとう=うちほろぼすこと》、実に50万人の日本兵を死に追いやった事実を忘れたくはないものです。
 
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/7 22:40
スカッパー  半人前   投稿数: 25
伸さん
ご無沙汰しております 良かったですね お兄さんの所属部隊が絞られてきましたね 私の手元資料で次の事が判りましたので レス致します
851空は17.11.1.東港空(台湾)を改称 南東方面艦隊に付属して飛行艇部隊として18.9.28航空戦隊から13航空艦隊に付属 しており 19年中頃に派遣されていたとか
954空は17・11・1。31空から954空に改称 当初は艦爆隊で 31特別根拠地隊として マニラに派遣されており3KF(第三南遣艦隊)に付属 17.12.艦攻隊に変更 18.7. 水偵隊も加わり  20.1. 901空に統合されています 20年1月は マニラの第一航空艦隊が台湾に引き上げた時で 901空も254空。953空や954空を統合し
本部は舞鶴に移しています この851空と954空の変遷と お兄さんが築城からキャビテに移動されて様子から勘案すれば
954空に勤務されていた様に推測出来ますね 確たる証拠は有りませんが どちらかの航空隊に居られた事が判明したのは 本当に幸いでした  ご冥福をお祈りします scupper
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/8 16:53
  新米   投稿数: 10
スカッパーさん、こんにちは。
大村さんのご返信はショックでしたが、戦争というものは、そん
なものかも知れませんね。兄も築城にいた頃は、昼日中に野球な
どして、気楽なものだと面会にいった両親が申していましたが、
敗色が濃くなると個人の力ではどうにもなりませんね。

大勢の人々の尊い犠牲の上に今日の我々の暮らしがあるわけです
から、この事を忘れずに生活して行きたいと思っています。

すこしでも兄の消息が分かり、スカッパーさん、有り難うござい
ました。
またどこかの勉強会でお会いするのを楽しみにしています。今後
とも 宜しくお願いします。


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/7/17 12:32
大村  新米   投稿数: 4
手紙のほうははともかく、家族には戦死公報が届きますが、本籍地の県庁には、恩給の関係で比較的詳しい資料が残されているはずです。

私の叔父も陸軍で、フィリピン近海で戦死したそうですが、墓には日付けだけが記入されているので、厚生労働省へ調べに行ったことがあります。しかしそこに資料はなく、各県庁に保管されているとのことでした。まだ実際に調べてはおりませんが、個人情報の関係もあるので、家族以外には見せてもらえないようです。

伸さんのお兄様に限らず、親族の消息が知りたい場合は、県庁に問い合わせてみてはいかがかと思います。
  条件検索へ