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天津捕虜収容所から南風崎まで

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/7/31 0:55
変蝠林  半人前 居住地: 横浜市 オオクラヤマ  投稿数: 22
八月十五日の記憶に書いた通り塞翁が馬《さいおうがうま=人生の禍福は予測できないということわざ》の導きで前の列車が山海関を越え、結果シベリア抑留《よくりゅう=強制的に留め置く》に連なったのに比し我々の部隊は天津で下車され、何処《どこ》かクリーク《=小運河》に面した捕虜収容所に収まった。

一等卒《いっとうそつ=一等兵、最下位の一つ上》は兎に角《とにかく》忙しいので下車場所も収容所への経路も一切記憶に残って居ない。収容側は米軍と蒋介石《しょうかいせき=中華民国総統を経て台湾統治、反共路線を貫いた》軍だが人数が不足なのと周囲を共産軍に囲まれて居るから現実には我々は殆ど《ほとんど》友軍扱いである。

渡辺はま子が慰問に来た様な記憶があるが、軍装は其の侭《まま》で一時市外の田園警備に派遣された。其処《そこ》では上等兵が手榴弾《しゅりゅうだん=手で投げる爆弾》を池に投げ浮いた魚を肴《さかな》にした。次には糧秣廠《りょうまつしょう=兵と馬の糧食を保存した倉庫》の警備と成り蒋軍《しょうぐん=蒋介石軍》の兵士等と酒を酌《く》み交した。郊外警備に当った時は兵長が畠の猫を一発で仕留め鍋にしたが不味《まず》くて食えなかった。最後に廻《まわ》された煉瓦《れんが》工場では通信兵の通信機で米軍のジャズを楽しんだ。其《そ》の頃からは共産軍の優待投降呼び掛けが毎晩の様に続き、他の隊では数人の呼応者が有った模様である。

歳末に近くなって米中軍も増強され、漸く軍装解除となり本物の捕虜となったが給与は日本軍が担当し毎日食い切れない菓子とか吸い切れない煙草が配給された。砂糖は枕《まくら》になり煙草《たばこ》は賭博《とばく》点棒《=計算のための棒》に使われた。兎に角天津は糧抹被服兵器等の大拠点である。

やがて支那人《しなじん=中国人》が柵《さく》の外から白乾児酒を持って煙草と交換を始めたので使役《しえき=仕事、雑役》後の夜はコップ酒の酒宴となった。ストーブの廻りでの飲み較べだから零《こぼ》すとパッと炎が揚がる。酒精度《=アルコール度》50に近い代物だから酒も煙草も其処《そこ》でツワモノにされて仕舞った。

驚いたのは米軍使役での事。倉庫内の白い粉の山が全部砂糖だしジープ清掃のバケツの中はガソリン。日本軍の携帯口糧《こうりょう=食糧》は網袋入りの乾パンに金平糖だが米軍のは紙箱に肉缶とチョコレートから煙草二本まで入ってる。敗戦は当然と納得せざるを得なかった。

帰国の為の太胡でのLST乗船時の事件に就いては何《いず》れ次回。

                       変蝠林
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