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私の戦時体験

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/8/21 16:35
ザックス  常連 居住地: 東京  投稿数: 65
私の戦時体験(中学生時代)

 私自身は徴兵《ちょうへい=国家が決めた兵役義務、満20歳》以前の年齢でしたので、仙台の中学での体験だけですが。

 1 同級生が幼年学校へすすみ、配属先が広島のため中学2年の年で原爆死しました。ショック
   でした。

 2 中3(昭和19年)の頃から、校庭を耕し、学徒動員《=学徒勤労令による動員》で 炭焼きや       
   線路工事、田の草取り、そして最後には苦竹にあった工場動員でプレスで薬莢《やっき
   ょう=火薬を詰める筒》
作りを手伝わされました。

   そのうちでは、農家の手伝いが白い飯が食えて感激でした。   その間、敵機の銃撃などが
   ありましたが。

 3 20年の7月9日に仙台大空襲に会いました。幸い防空壕《ぼうくうごう》に入り、また焼けない
       地域でしたので助かりましたが、あの火の海と明くる朝の累々《るいるい=重なり合う
   さま》
たる死体がテトラボットのように至る所に転がり、遙《はる》か県庁の方まで見渡せたの
   は忘れ得ぬ光景です。
   これで仙台の中心部の大半が焦土《しょうど=焼けこげた土地》となったのでした。

   学校の被害は、と電線や電柱を乗り越えながら学校へ向かいましたが、学校の被害は軽微
   でした。空襲の詳細は下記HPを参照。
  http://members.jcom.home.ne.jp/m.masupage/mukashi/sendai-daikusyu.html 

   終戦の詔勅は工場のかすれたラジオで聞き、10分ほどして日本が負けたと知りました。 

 4 戦時中を通じての辛かったことは、食糧難、勉強が出来ない、物がないなど位ですから、徴兵
   された学徒、兵隊さんの比ではありません。貨物列車、無   蓋《むがい=覆いの無い》
   車での帰省時のトンネルの辛さ 、連結器上での長時間旅行《敗戦直後の列車は屋根や連結
   器の上まで人で溢れた》
も忘れられません 。 

結語
  書くほどの事はないのですが、せめて戦争文学ないし歴史を
  読み、その悲惨さを後世に伝えることが私の責務だと思って
  います。

  ★その意味での必読の本。
  ・大岡昇平「レイテ戦記」「野火」
  ・古山高麗雄氏「竜陵会戦」「プレオー8の夜明け」他、
   数々の本
  ・阿川弘之「井上成美」「暗い波濤」
  他多数の著作。
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