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レンパン島捕虜収容所 第一部 <英訳あり>

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/8/29 12:37
てっちゃん  新米   投稿数: 6
  
レンパン島
レンパン島はシンガポール南東数十キロのインドネシア領の無人島である。
誰も知らなかったこの島に太平洋戦争敗戦時《1945》、10万前後の日本軍が
捕虜として収容された。
我々は飢えに苦しみ、環境の極めて厳しかったレンパン島を、
特別の感情を持って死の島とか、レン(恋)パン(飯)とかけて恋飯島と呼んだ。

老生《ろうせい=老年の男性が自分のことを謙遜していう言葉》の投稿「太
平洋敗戦の時」に対し、尊敬する線友《パソコン友達》t o s h yさんからレンパン島は
「思い出したくない記憶かも知れませんが、後世に残す事実としてここにお書き下
さると宜《よろ》しいかと存じます。」
との丁寧なコメントを頂いたのでレンパン島のことを3部に分けて書きたいと思う。

第一部 マレー半島南部 クルアン検問所
     クルアンからレンパン島へ

第二部 レンパン島 静村弘法山宿営地
     開墾開拓
     レンパン浮腫(栄養失調)
     マラリア
     レーション
     昭和21年元旦

第三部  滝本隊  句会
             帰国

第一部
マレー半島南部 クルアン検問所
昭和20年10月21日ランゴスからマレー半島南部のメンキポールへ
移動した頃、「日本軍捕虜はレンパン島と言う無人島に送られる。その島では
第一次世界大戦のドイツ人捕虜が多数餓死《がし=うえて死ぬ》した」との
噂が流れた。
10月23日英軍から我々の部隊に対し、クルアンからシンガポー
ル経由レンパン島へ移動が命令された。
クルアンには厳《いか》めしい英軍の検問所があり、物々しい黒、灰色、白の
キャンプが設けられてあった。命令に従わなかった者、質問に素直に答えなか
った者、所持品を隠した者など、即刻《そっこく=直ちに》黒キャンプに入れ
られるとの風評があった。

   黒キャンプ: 戦犯容疑者《せんぱんようぎしゃ=戦争犯罪の疑いがある者》 
           鉄条網《てつじょうもう=棘のある鉄線を張った柵》に囲まれ
           4隅に監視所あり。
   灰色キャンプ:容疑不明の者
   白キャンプ: 全く疑いのない者

我々は如何なる検査がされるのか分からず非常に緊張したが、我々の
グループは比較的簡単に通過することが出来た。
兵隊は簡単な持ち物検査、将校には英人検査官と印度兵が対応した
が、小生の時には通訳がおらず、何が何だかよく分からぬままにOKとなった。
そして滝本隊は幸運にも全員が白キャンプに入った。

クルアンからレンパン島へ
英印軍《=イギリス・インド軍》監視の中追われる如くクルアン駅から貨車
に積み込まれて、のろのろと十数時間南下してシンガポール駅に到着、
其のまま英印軍の監視下住民の罵詈雑言《ばりぞうごん=ののしりの言葉》
の中をケッペル港へ向い、10月26日数百トンの貨物船へ乗り込んだ。
何時間か眠り込んでレンパン島が見えた時、案外大きな島と感じた。
先発の工兵隊が建設した名前だけが素晴らしい「宝港」の仮設
桟橋《かせつさんばし》に着くと、骨と皮の半裸の使役
《しえき=雑役》の兵隊が居た。捨てたタバコの吸殻《すいがら》を拾った。
彼等は自ら《みずから=自分》を卑下《ひげ=いやしめる》して
「レンパン乞食《こじき=物貰い》」と言った。
                         第一部 おわり
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