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杉林に消えた米兵-1-(投稿:中村賢司)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/8/30 13:53
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
横浜市・旭区の中村賢司さんの記録です。


予科練《よかれん=海軍予科練習生》を卒業し、大和基地に転勤したのは、昭和二十年七月だった。
予科練当時何回か基地作業に来た飛行場である。格納庫の前には数十機の赤い練習機が並び、滑走路では零機《ぜろき=零(れい)式艦上戦闘機、日本海軍の主力戦闘機》がプロペラを唸《うな》らせていた。

《いず》れ我々もあの練習機に乗って訓練を積み、卒業飛行で故鄕の空を訪問することを夢見たものである。

だが、僅《わず》か数ヶ月のうちに、練習機も零機もすっかり姿を消してしまっていた。
転勤して来た我々六十一分隊の同期の者は、搭乗《とうじょう》訓練どころか、防空壕《ごう》掘りや滑走路の補修などの作業隊に編入されてしまった。

しかし私と山田と森下の三人だけは指揮小隊付伝令として、航空隊本部に配属された。
士官室と通信室の間に挟《はさ》まれた小さな部屋には、江田島沖で撃沈された巡洋艦《じゅんようかん=速力があり攻坊力の優った中型軍艦》「利根」の乗組員で生き残った秋山上等兵(十七歳)が先に赴任しており、四人で勤務することになた。

七月半ばの暑い日だった。
その日も朝から警戒警報が発令されていた。基地転勤後は毎日の空爆で、敵の銃《=機関銃》爆撃には馴《な》れてはきたが、耳を掠《かす》めるあのヒューン、ヒューンという弾の音だけは気持ちのよいものではない。

士官室に呼ばれた私は、馬屋原中尉から茶封筒を渡され、裏山にある地下壕陣地の清川中尉に至急届けよ、と命令を受けた。私は第三種軍装に伝令の腕章を付け北門に回った。

「誰か・・・」高い築堤《ちくてい=盛り上げた堤》の上から声が掛った。着剣した小銃を構えた番兵である。「指揮小隊付伝令」と私は大きな声で築堤の上に返し、敬礼をして隊門を出た。
そのとたんである。けたたましくサイレンが鳴り、庁舎屋上の高声令達器から「対空戦闘配置に付け」の号令が繰り返された。

私は一旦《いったん》庁舎に戻ろうかと考えたが、至急届けよとの任務を命ぜられているのだ。戦闘帽の顎紐《あごひも》を掛けみかん畑の坂道を急いだ。
すでに飛行場の上空には敵の艦載機が到達しており、編隊を解いて攻撃態勢に入っている。
突然私のすぐそばのみかん畑の中から三連装の広角砲《=高射砲》が火を噴《ふ》いた。焼けた薬莢《やっきょう=火薬の容器》がパラパラと落ちてきた。
火傷を負う危険があるので、私は反対側の土手陰に隠れて眼下に広がる飛行場の方を見た。

敵の編隊はグラマンF6F約二十機である。腹に一個ずつロケット爆弾を抱え、それを急降下で格納庫や滑走路に投下し、その後は低空で兵舎や人影を狙《ねら》って機銃掃射する。
すでに第一格納庫と離陸寸前だった一式陸上攻撃機から黒煙が上がっている。敵味方双方の機銃弾の光跡が空中で交差しており、私の頭上でもヒューン、ヒューンと弾の流れる音がする。

勤労奉仕で基地作業に来ていた女学生の集団が、飛行場から逃れて田圃《たんぼ》の畔道《あぜみち》を走って行く。わが者顔に飛行場の上を乱舞していたグラマンの一機が、突然この女学生の群れに襲いかかった。
道に落ちた機銃弾は砂埃《すなぼこり》を上げ、田圃に落ちた弾は水しぶきを上げる。
一旦畔《あぜ》や水路に伏せた女学生たちも敵機が去ると、先を争って先生らしき人の後を追って固まって走る。「あぶない」私は心の中で叫んだ。
全く遮蔽物《しゃへいぶつ》のない飛行場とそれに続く田圃、敵機にとってまたとない標的である。二機目のグラマンが急降下を始めた。
その時である。このグラマンにパッと炎が上った。友軍の機銃弾の命中である。

一旦上昇して機を立て直したかに見えたが再び炎が上り、機は急激に高度を下げ、山裾《すそ》に沿って私の眼前を通過した。三十メートルの至近距離である。一瞬だったがありありと米軍飛行士の顔が見えた。
大きな顔に高い鼻、炎に照らされた真赤な顔、何とか機体をおこそうともがく形相は人間の顔とは思えなかった。鬼畜《きちく》米英というが、本当にアメリカ人って鬼のようだと思った。

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あんみつ姫

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/8/30 14:19
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
みかん畑の茂みで、被弾したグラマンが飛び去った先は解《わか
らなかったが、あの状態では墜落は確実だ。パラシュートでの脱出も無理だろう。私は「ざまぁ見ろ」と心の中で叫び清川中尉の居る地下壕陣地へと急いだ。

地下壕陣地は山と山との間を利用し、本土決戦に備え建設中で、六十メートルの横穴式壕がすでに十本近く完成していた。負傷者収容の病院壕、武器修理の工場寮、食料貯蔵庫や爆弾庫、発電室から通信室、相当堅固な地下陣地である。
清川中尉は第三壕に居た。兵隊たちは皆上半身裸で黙々とつるはしやスコップを振っている。飛行場の空爆にも意を止めず働いていた。
私は清川中尉に封筒を渡した。側溝に飛び込んだり、土手に伏したりしたので封筒はくしゃくしゃになっていた。

壕から出た昔の土器を村に届けるのだという、もっこを担《かつ》いだ二人の兵隊と一緒に山を下った。
ちらほら民家の散在する農道との交差点にきた時である。サーベルを吊《つ》り自転車に乗った汗びっしょりの駐在所の巡査に出会った。私はあの炎に包まれたグラマンの結果が気になっていたので、巡査に聞いてみた。

やはりグラマンは二つほど向うの山に墜落したという。しかし墜落寸前に操縦士はパラシュートで脱出、半開きのまま山間の小さな部落に落下、意識不明になっているところを、部落の人たちが竹槍《たけやり》や鎌《かま》で刺《さ》し殺してしまったというのである。巡査はこれから憲兵《けんぺい=軍事警察》隊に報告に行くのだという。

村の人たちといっても大部分は国防婦人会のおばさんたちだったようだ。日頃の竹槍訓練の成果を私はあっぱれだと思った。しかし巡査の慌《あわ》てようからして、何か秘密にしておかなければならないような気がした。
隊に戻ったら詳しい話が聞けるかと思ったが、二機撃墜したということだけで山間の部落の事件も、女学生たちの被害の様子も聞かされなかった。

それから二三日後再び山の地下陣地に行った帰りに、みかん畑の農夫から、先日の米兵の遺体は杉林の中に埋めてしまったらしいと聞いた。敵兵の死を可哀そうだとは思わなかったが、軍人らしくない殺され方にふとあわれみを感じた。この米兵もビルマの奥地で戦死した兄のように、遺骨は永遠に故鄕には戻らないのだ。

遺骨の入っていない白木の箱に取りすがって泣いた母の姿がふと瞼《まぶた》に浮かんだ。


           以上;代理投稿

掲載に当たり、コケッコッコーさん、三上さんにご協力頂きました。ありがとうございました。
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