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米 櫃(こめびつ)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/4 15:47
キャロット  新米 居住地: 神奈川県  投稿数: 3
私の子供の頃、台所の片隅に大工道具箱みたいな黒い米櫃が置かれ
お米屋さんから届けられた小さな南京袋に入った、お米を補充
して居ました。 お天気の良い日に母親が板の間へ新聞紙を広げ
て、中のお米を薄く広げて風に当てて居たのを覚えております。
たまにお米の中から黒い小さな虫がモソモソ出て来た事のを見て
驚いた、ことが有りました。今ではあの穀象虫《こくぞうむし=幼虫は米粒などにすむ》
なんか居ないでしょうね。

    04/ 10/ 04/ carrot
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/5 18:01
としつる  半人前 居住地: 東京  投稿数: 31
キャロットさん、ご無沙汰の としつるです。
引用:
私の子供の頃、台所の片隅に大工道具箱みたいな黒い米櫃が置かれお米屋さんから届けられた小さな南京袋に入った、お米を補充して居ました。
 
そうでしたよね、我が家ではブリキトタンで出来ていた大型の蓋付き箱でした。その中に入っている量が問題でした。

経済的にまあまあの時は心配ありませんでしたが、減り始めると
何故か心細がったお袋の顔が浮かんで来ます。

穀象虫と言いましたかね、湿気《しけ》たり、古くなると自然に湧く《わく》いた様にいましたねえ、それでもお米でありさえすれば食べられましたからねえ。

何時しか転勤転居の都度、邪魔《じゃま》になり処分した記憶があります。
珍しいお話有難うさんでした。

              04.10.05PMとしつる

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2004/10/6 18:06
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
キャロットさん、としつるさん

引用:
我が家ではブリキトタンで出来ていた大型の蓋付き箱でした。

 我が家では、同じようにものが、今も現役で活躍中です。
 だいぶ、古色蒼然《こしょくそうぜん》としていますが。

 商標のあとに、「場工分塚戸」と右書きしてありますから、戦争直後のものと思います。

引用:
穀象虫と言いましたかね、湿気たり、古くなると自然に沸いた様にいましたねえ

 はい。昔はよくつきました。
 母は、穀象虫よけに、唐辛子を何本か米櫃に入れていました。









前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/10/8 12:37
としつる  半人前 居住地: 東京  投稿数: 31
マーチャン、としつるです。何かとご迷惑をお掛けしています。
引用:
 我が家では、同じようにものが、今も現役で活躍中です。
 だいぶ、古色蒼然としていますが。

 商標のあとに、「場工分塚戸」と右書きしてありますから、戦争直後のものと思います。
確か47年ぶりの懐かしい米びつのブリキ箱を思い出させて頂きました。老生も生まれた時から、このような米櫃にお世話になりました。

強いて言えばもう少し角張って《かどばって》いた大正年代のものであったかも知れませんが、手鍵《てかぎ》と言うかこのような取っ手も確り見覚えがあります。

有難うございました。右書きですから貴重な戦前のものでしょうね。どうぞ益々のご健勝を念じています。

           04.10.08.PM;としつる
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/11/4 21:24
ハム  新米 居住地: 岡山県  投稿数: 18
私の家では、円筒形の米櫃(こめびつ)を使用していました。私の家は農家だったので、精米するのはほぼ1俵(60キロ)単位でしたから容量の大きい米櫃が必要でした。
収穫した米は、籾摺(もみす)りをし、供出(きょうしゅつ)する米は俵に詰めました。
自分の家で食べる米は保有米(ほゆうまい)といい、1人あたり1年間に消費する量を2.5俵(ひょう)と計算し、それに家族数を掛けただけ保存しておきました。昭和20年~30年頃、我が家には2家族9人が同居していましたから約23俵の米が保存されていたことになります。
その米は、この米櫃を大型化したもので、米缶(べいかん)と呼ばれる容器に入れて保存されていました。この米缶には大きいもので10俵、小さいもので5俵、入りました。
我が家の倉庫には大2、小1合計3つの米缶が並んでいたのを覚えています。
ちなみに、我が家の耕作面積は2町歩(2ヘクタール)、供出(出荷)数は、およそ160俵程だったと記憶しています。

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ハム(把夢)

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