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「花札」で遊ぶ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2005/1/3 15:26
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
1940年前後の話です。
我が家には「お正月」だけに登場する「遊び道具」がありました。
「花札」と「百人一首」でした。

 「花札」で遊ぶ「花あわせ」は、一見、簡単なようですが、幼稚園児の私にはかなり複雑な遊びでした。
 でも、末っ子の私が大人たちに遊んでもらうには、何とかルールを覚えなくてはならず必死でした。

 基本ルールのほかに「役」などもあり、勝負がつくと麻雀の点棒のような「このゲームでだけ通用するお金」で決済しなくてはなりません。
 お金の種類には 「五貫《ごかん》」「十貫」「一貫」(なぜか、一貫は12文、と12進法でした)などがありました。
 もちろん、本物のお金は使用しません。
 目玉が飛び出す小さな「ダルマ」(芽が出るようにという意味なのでしょう)もありました。

 月ごとに「花鳥風月《かちょうふうげつ》」の絵が描かれた花札は、子供心にも、どこか粋《いき》で、江戸の文化の匂いがしました。

 12月の桐の絵の札には「任天堂《にんてんどう》 謹製」と印刷してありました。
 百人一首の箱にも、同じ名前が印刷してありました。

 15年ほど前、秋葉原の電気街の店頭で「ニンテンドー」の「ゲームボーイ」を見たとき、同じ会社の商品だと納得できるまでに少し時間がかかりました。

前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/1/5 8:50
らごら  常連 居住地: 横須賀市  投稿数: 46
マーチャンさん

 1940年頃といえば昭和15年頃ですね。
そのころ僕は京城(現ソウル)に住んでいましたが、時々祖父母が仲間を集めては花札を楽しんでいました。
座布団の上に花札を叩きつけるようにしては、赤短(あかたん)・青短(あおたん)・猪鹿蝶(いのしかちょう)などの組み合わせができるとそれなりの点数が付きます。
ゲームが終わると10円札が行き来していました。
当時の大卒者の初任給は技術者85円、事務者75円でした。
お客が帰ってから「おばあちゃん、今日は幾ら儲かったの?」と聞くといつも「10銭」と答えていました。
当然当時でも賭事《かけごと》は御法度《ごはっと=禁じられている》でした。
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