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わたしの軍歴

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/25 15:14
BEE  新米   投稿数: 0
私は終戦前年、昭和19年6月に召集令状を受けて各務原飛行連隊に入隊
しました。入隊後直ちに満州の関東軍第8367部隊へ転属し初年兵訓練を受
けました。

この部隊はチチハル近くの楡樹屯《ゆうじゅとん》にあり、一般には第9野戦航
空修理廠《しょう》と呼ばれていましが、当時すでに飛行機はおおかた南方戦線
に狩り出され、修理する飛行機も無く一般兵科の訓練に明け暮れていました。

そのうち幹部候補生の採用試験に合格したので、昭和20年3月、教育の
ため陸軍仙台飛行学校に転属することになりました。もうこの頃になると米
軍の本土空襲も激しくなり、ここで何度か空襲に遭い、候補生同僚の何人か
は衛兵《えいへい=門番》勤務中にグラマンの地上掃射にやられて亡くなり
ました。ここでは専ら《もっぱら》残った飛行機を本土決戦に備え、山中に
隠すのが日課でした。

それももう終わりになる7月末に、転属の命令を受けました。行き先は東
京の村山貯水池にある電波探知機基地でしたが、ここでは我々幹部候補生
は何をする暇も無く8月15日を迎えました。

数日後、部隊は解散することになりましたが、部隊長から「今は涙を呑んで解
散するが、近い将来必ず捲土重来《けんどじゅうらい=一度敗れたものが
もう一度勢いを盛り返すこと》
再び諸君に相まみえよう」という訓辞を
受けそれぞれ故郷へ戻りました。

満州の地に残った同僚は南方戦線に送られまたはシベリアへ抑留された、と後
に聞きました。

              2005年6月25日   BEE
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