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終戦の頃 <英訳あり>

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/6/25 15:21
桂女  新米   投稿数: 9
  
昭和20年3月、一人でも多くの若者を戦線に加担させるため、全国の中学校《男》
女学校《女》《=男女とも中等学校》で一斉に繰上げ卒業が行われました。私共4年
生は5年に上る事なく強制的に卒業させられたわけです。 といっても身柄は学
徒動員のまま、今度は専攻科と名前を変えて寮生活を続け、相変わらぬ工場で航
空機部品の製造に従事いたしました。今、右翼のスピーカーから流れる「ああ、
紅の血は燃ゆる」花も蕾の若桜・・・と言う歌は戦時中 私達学徒出陣生や勤労
学徒生のためにつくられたものだったのです。

空襲に怯《おび》える父親の方針にり、私は卒業と同時に工場を辞め、四国の山あい
の寒村に代用教員の職を得て都会を離れました。川に沿って小さな部落が点在する
のどかな分教場は、空襲の恐れはまったく無い児童数30人に足らないおもちゃ
箱のようなものでした。
田んぼは少ししかない寒村でしたから自炊生活は貧しいものでしたが、食糧難の
都会に比べればまだましでした《都会では主食の米はもちろん、野菜や魚まで配給で、
それも僅かな量でした》
。川の水を飲み、ランプと提灯《ちょうちん》の生活。本校ま
で8キロの細い山道には狸やウサギが遊び、時には熊も出るとか。

そんな田舎の分教場に都会から赴任した私は、戦争末期の荒々しいヒステリック
な思想を持ち込みました。「八紘一宇《はっこういちう》」だの「大東亜共栄圏」だの、
果ては「鬼畜《きちく》米英」「打ちてし止まむ」とか「一億総玉砕」なんて・・・
竹槍のつもりで棒切れを振り回して「本土決戦の時は・・・」 でも田舎の子供達
はほんとに真剣に受け止めてくれました。まるで白紙に墨を落とすように教師の
言葉に染まるのです。 未だ大人とはいえない未熟な私の言葉にさえ染まるのです。

そして8月15日 終戦。 今度は教科書を墨で塗りつぶし、資料を焼き捨てる混乱
の日々が続きました。昨日までの言葉をひるがえしてこんどは「民主主義」です。
「平和と平等」です。復員の男先生たちを迎えて退職するまでの長い日々、私は何を
思いどんな顔をして教壇に立っていたのでしょう。

その後、正式な資格を取得してもう一度学校に、と言うお誘いにも乗る気は失せて
小さい頃からの夢は無残に砕かれてしまいました。 思い出す度、恥ずかしくて、
恐ろしくて、子供達に申し訳なくて、この60年間人に話すことも無い青春でした。
22歳と24歳の正教員、そして女学校を4年生で卒業した早生まれの私はまだ16歳に
なったばかりの代用教員。娘3人は“聖戦”を信じ必死で銃後《じゅうご》を守ったつも
りの小さな分教場のお話です。
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