「大正二桁世代の中学校」
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- 「大正二桁世代の中学校」 (自然, 2005/7/8 10:58)
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投稿日時 2005/7/8 10:58
自然
居住地: 横浜(福井)
投稿数: 22
昭和10~15年は最も多感な少年期を「公立中学校」に学んだが この頃の朝
鮮 では 県に相当する「道」及び市に当たる「府」の管轄《かんかつ》施設を称
し 中学は前者 であり 内地人の学校は外に高女《=高等女学校》と3っの小学校
内鮮共学は 師範《しはん=現在は大学教育学部》 商業さらに専修学校
《=職業に必要な技術を教育する学校》があった
当時の国状は 満州事変《=1931年日中戦争の発端》以後軍関係事件が頻繁
《ひんぱん》に起き 11年には二二六《=陸軍青年将校たちが当時の政府に対して
起こしたクーデター事件》 12年は日中戦争 13年は三国軍事同盟《=日本・ドイツ・
イタリアの同盟》 16年には太平洋戦争が引き続いて起こり 少年といえども国家
総動員体制の枠外ではなかった
中学新入1学期の陽春の校庭では ゲートル姿のひと組が徒手教練《としゅきょう
れん=手に何も持たない闘争のための訓練》を終え配属将校
《=戦時中各学校に教官として軍人が配属された》 教官の 大尉先生に挙手の敬礼
をしてホーッと入れていたその時
「○○ここに 来い!」と声で側に直立 「お前の臨時試験成績では『落第』
するぞ!」と雷な らぬ慈眼を浮かべての諭し《さとし》を 給わったのである
因みに《ちなみに=関連して》 本校の試験の仕組みは 学年三学期制の各
学期に 臨時 期末と二度の試験の都度《つど》 科目別と総合平均点と
クラスと学年内の順位を各自に通知され 科目別で40点 総合平均が60点未満
の点は赤字で表示され 各学年末に赤字が付くと 「落第」と決し留年する処分は
制服の詰襟《つめえり》右に校章左に学年章を付けるので 表沙汰を避けることが
できなかった
「落第」の一言で勉学の大切を知った凡庸子《ぼんようし=平凡な人》の人生は
今日も続いている