@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

時計の無い生活 伊藤 巌氏の記録(北朝鮮)

  • このフォーラムに新しいトピックを立てることはできません
  • このフォーラムではゲスト投稿が禁止されています

投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2005/9/2 17:07
団子  半人前   投稿数: 22
昭和二十年《1945年》八月十五日に玉音《ぎょくおん=天皇のお声》放送があり、明治維新《めいじいしん=1867年江戸幕府の崩壊により、明治政府が近代国家を創設し、さまざまな改革が行われた》の様に世の中が反対になり社宅の入替えの通知がきて、九月五日西本宮南区社宅より成輿中学が見える竜輿社宅への移転をしました。リヤカー一台分しか品物が持ち出せなく、小雨の降る野道を母窺《=母親》と子供たち数人で押していきながら、四月四日四十才父親が西本宮工場の正門から出征し、その後音信がなく八月下旬には近所の人々続々と復員しているのにうちの父親は姿が見えず竜輿社宅の番戸が分かるだろうかという心配でした。(その父親も翌年の二十一年十二月に日本に帰り五十一年に七十一才の天寿を全うしました、話によると送電線の鉄答《=鉄塔》を頼りに歩いているうちに狼《おおかみ》の遠吠えに気味が悪くなり人里に下りたところを保安隊に捕まり刑務所に入り、ウラジオに抑留《よくりゅう=強制的に止め置かれる事》されて体を悪くして再び輿南に帰り博多についたそうです)

 閑話休題《かんわきゅうだい=その話はさておき》 リヤカー一台持ち出したのを売り払う”竹の子生活《=たけのこの皮のように一枚ずつ衣類などを処分する生活》”の始まりに弟と二人で市場に行き枕時計を五円で売り餅《もち》を買い分けて食べましたが、その味のよかった事、物余りの現代では想像もつかないことです。しかし売る物をもたないソ連に追われてきた難民の人、又四月に義務教育を終えたばかりの少年工の人々達は厳寒の北朝鮮の冬を越す事が出来ずに、栄養失調《えいようしっちょう=食物の不足による体の異常》を起こし体温の低下で軋が皮膚を登りだすと、やがて呼吸が停止し三角山《=埋葬場所》に送られていきました。
 
十月頃農家の韓博爛さん宅に牧童《ぼくどう=家畜の世話をする少年》として働きに行きましたが竜輿から一山越えた所ですが、電灯もネエ、水道もネエ、時計もネェ、電灯の代りにはメンタイの油(チリミ)を、水道の代りには、谷間の泉から汲《く》んできた水を瓶《びん》に入れて使い、時計は朝日が出ると一日が始まり、太陽が真上に来ると昼飯で、夕日が山の端に沈むと一日が終わり現代の時は金なりの美名に寸暇を惜しむ《=わずかの時間も惜しんで働く》生活より祖先が長い間変わらず続けて来た自然に溶け込んだ人間らしい優雅な生活だった様な気がします。

夜は近所の人が集まり貝殻に入れたチリミに灯芯《とうしん=油に浸して灯をともす》に火を入れ、茶碗に入れた水を廻《まわ》し飯みし眠くなったら解散して寝るのですが、やがて巻脚件《まききゃはん=ゲートル》の間から虱《しらみ》が入り体を走り廻り睡眠どころではありませんでしたが、朝日が昇るとオンドルに”オモニ”が火をつけると、松葉の匂いが鼻孔に入り”ウトウト”する毎日でした。

終わりに
十年昔といいますが、もうあれから五十年過ぎています。
その間に引き揚げ、就職、結婚、子育、定年、第二の人生と人生行路を辿《たど》ってきましたが、最後に精練所の煙突を見に行きたいものです。

      1996同窓誌への投稿から発行者の許しを得て。
  条件検索へ